朝日日本歴史人物事典 「中村歌右衛門(初代)」の解説
中村歌右衛門(初代)
生年:正徳4(1714)
江戸中期の歌舞伎役者。加賀金沢の医師の子。本名大関栄蔵。俳名一洗。屋号加賀屋。初名中村歌之助。17歳で旅役者中村源左衛門に入門,敵役として各地を巡業。寛保2(1742)年に歌右衛門の名で京都早雲座に出演,好評を受けて以後5年間この地で活躍。次いで大坂で10年を経て40歳となった宝暦3(1753)年,並木正三の傑作「けいせい天羽衣」の^山名宗全役で大当たりをとり,翌春の評判記で上上吉の位付けとなる。同7年江戸下り,4代目市川団十郎などと共演,6年後帰坂して「秋葉権現廻船語」の日本駄右衛門役で当てる。以後江戸と上方で活躍,実悪で無類の名人と称賛された。一時座元を勤めたこともある。57歳の明和7(1770)年の芝居で,再び並木正三の作品「桑名屋徳蔵入船物語」の徳蔵で当たりをとる。安永8(1779)年評判記の位付けは大上上吉より功上上吉に進む。天明2(1782)年69歳で,名前を門人の敵役者中村東蔵に譲り,加賀屋歌七と名乗る。寛政1(1789)年以後舞台を退き,2年後に78歳の長寿で没した。容貌と体格,品位に恵まれ,凶悪な謀反人などの役に当たりが多い。山名宗全,日本駄右衛門,桑名屋徳蔵のほか,清玄,入鹿,権太,才原勘解由などで好評を受けた。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,守随憲治『歌舞伎序説』
(松平進)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報