略称は全労連。1989年(平成1)11月に結成されたナショナル・センター(労働組合全国中央組織)。母体は1974年(昭和49)12月に発足した統一戦線促進労働組合懇談会(統一労組懇)である。
1980年代の労働戦線統一の流れが、全日本労働総同盟(同盟)や日本労働組合総評議会(総評)内の大企業労組幹部などによって具体的になってくると、すでに1974年に発足していた統一労組懇に参加する総評内左派労働組合は、この労戦統一の流れを労働組合の右翼的再編ととらえ、総評中央の動きを厳しく批判していた。1987年11月に全日本民間労働組合連合会(民間「連合」)が発足し、1989年秋の日本労働組合総連合会(連合)の結成が避けられなくなると、統一労組懇系の各単位産業別組合(単産)は連合とは別に新しいナショナル・センターの結成を目ざした。また連合結成に参加することを決めた総評傘下の全日本自治団体労働組合(自治労)や日本教職員組合(日教組)などでは、「たたかうナショナル・センター」の確立を目ざす組合組織の分離・除名が進み、分裂現象が生じた。これら大単産から分離した組織とその他の総評内左派単産(多くは統一労組懇加盟組合)は、連合とは別にたたかう階級的ナショナル・センターの結成を決め、連合結成と同じ日に全労連結成大会を開いた。全労連の加盟単位は単産と地方組織の2本立てとなっており、結成時の組織人員数は27単産41地方組織140万人となっていたが、公務員・教員など官公労組合員の比重が民間労組員より高かった。おもな公務員組合(単産)は、日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)と、全労連発足と前後して結成された全日本教職員組合協議会(全教)、日本自治団体労働組合連合会(自治労連)などであった。
全労連は、組織の基本性格として「労働者の団結を最大限に保障する『資本からの独立』『政党からの独立』『共通の要求で行動の統一』という三原則を堅持」することを強調し、「春闘の積極的なたたかいの伝統をうけつぎ、国民春闘の旗を高くかかげ」るとして結成された。1990年代から長く続く経済停滞のもとでは大幅賃上げ・労働時間短縮・雇用確保を要求、労働時間・女性労働者保護の規制緩和など労働諸法制の改定に反対し、「国民本位の行財政確立」「国民生活の擁護」を強調し、運動方針として「総対話と共同・10万人オルグ」を掲げている。全労連は全教をはじめとする全国組織の産業別組合と都道府県別共闘組織(ローカル・センター)によって構成され、2011年3月末時点で68組合(21単産および47都道府県別組合)、119万5276人を組織している。
[川崎忠文・早川征一郎]
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… その後,全労働者的課題である政策・制度面においては,総評,同盟,新産別との労働四団体共闘を組織,春闘においては総評との間に国民春闘共闘会議を設置し,官民の接点という重要な役割を担った。また,労働戦線統一の面で,民間労組の統一をめざした全民労協(全日本民間労働組合協議会)の結成(1982年12月)に新産別との共闘組織である総連合(全国労働組合総連合,1979年3月結成)の一員として橋渡し的な役割を果たしたことは特筆すべき点である。政治的な運動では総評,同盟と異なり,特定の支持政党はもたず,共通要求課題の実現という観点で同一の目的をもつ政党と協力関係を結ぶなど緩やかな路線をとっていた。…
※「全国労働組合総連合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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