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中西利雄 なかにしとしお

百科事典マイペディアの解説

中西利雄【なかにしとしお】

画家。東京生れ。東京美術学校卒。1928年―1931年滞欧。帰国後,帝展と日本水彩画会に滞欧作を発表し,1936年の新制作派協会結成に参加。もっぱら不透明水彩画を描き,水彩画の表現に新生面を開拓した。
→関連項目新制作協会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中西利雄 なかにし-としお

1900-1948 大正-昭和時代の洋画家。
明治33年12月19日生まれ。昭和9年の帝展で水彩画初の特選。11年新制作派協会の創立にくわわる。大仏(おさらぎ)次郎の新聞連載小説「帰郷」の挿絵を担当するが,病で中絶した。昭和23年10月6日死去。49歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「婦人帽子店」「トリエール風景」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中西利雄
なかにしとしお
(1900―1948)

洋画家。明治33年12月19日東京に生まれる。1922年(大正11)東京美術学校西洋画科に入学し、水彩画に専念する。在学中に日本水彩画会の会員となるほか、帝展、光風会展に出品、光風会賞を受賞し、27年(昭和2)に卒業。研究科に在籍ののち、28~31年渡仏してサロン・ドートンヌに出品のほか、ヨーロッパ各地を巡遊する。34年第15回帝展で特選、翌年の第二部会展で『婦人帽子店』が特選、文化賞を受賞する。36年同志らと反官展の新制作派協会を結成。不透明水彩絵の具による明るい作品で親しまれ、昭和23年大仏(おさらぎ)次郎の新聞連載小説『帰郷』の挿絵を担当中、発病して中絶、同年10月6日没した。[小倉忠夫]
『中西利雄著『水彩画の技法』(1965・美術出版社)』

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