改訂新版 世界大百科事典 「久松氏」の意味・わかりやすい解説
久松氏 (ひさまつうじ)
近世大名。家伝によれば菅原道真を元祖とし,久松氏を称し尾張国知多郡阿古居郷の領主であったが,徳川家康の母於大の方(伝通院)が俊勝と再婚したことによって徳川氏の一族となり,家康の異父弟にあたる康元,勝俊,定勝は松平の称号を与えられた。松平康元は三河国西郡城,駿河国沼津城に住し,後北条氏滅亡後の小田原城を守衛,徳川氏の関東入部後,下総国関宿4万石を領した。1702年(元禄15)忠充のとき改易され,子孫は旗本となった。松平勝俊は今川氏真,武田信玄の人質となったが,1583年(天正11)駿河国久能城を与えられた。子孫は下総国多古に陣屋を置き,1713年(正徳3)勝以が大坂定番となって1万2000石を領した。久松氏の中でもっとも発展したのは松平定勝の系統で,家門に準じた。定勝は伊勢国桑名11万7000石を与えられ,嫡男定行は1635年(寛永12)伊予国松山15万石,五男定房は今治3万石に移封。代わって三男定綱が桑名へ11万石で入り,1710年(宝永7)定重のとき越後国高田,41年(寛保1)定賢(さだよし)のとき陸奥国白河(白河藩)に転じ松平定信を出したが,1823年(文政6)定永のとき桑名にもどった。定勝の六男松平定政は将軍家光の死後所領を没収され,子孫は旗本となった。明治にいたり桑名藩主のほかは久松姓に復し,旧松山藩主は伯爵,他は子爵となった。
執筆者:煎本 増夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報