二重橋(読み)にじゅうばし

精選版 日本国語大辞典 「二重橋」の意味・読み・例文・類語

にじゅう‐ばし ニヂュウ‥【二重橋】

(江戸時代木橋であり、その安全を期するために橋桁二重にかけていたところから呼ばれた) 東京都千代田区、皇居正門の堀にかかる二つの橋のうち、二の橋の皇居正門鉄橋(てつばし)の俗称。一般には、一の橋の皇居正門石橋を含めて呼ばれることが多い。
※雑俳・柳多留‐一四八(1838‐40)「一重(ひとへ)には知れぬ深慮の二重橋」

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デジタル大辞泉 「二重橋」の意味・読み・例文・類語

にじゅう‐ばし〔ニヂユウ‐〕【二重橋】

皇居正門の堀にかかる鉄製の橋の俗称。江戸時代は木橋で、堀が深いため上下二重に橋桁はしげたを組んだところからよばれたもの。
[補説]一般に、皇居前広場から見える二重アーチ構造の石橋を「二重橋」とする誤解が多いが、これは「正門石橋」であり、二重橋はその奥にある。

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改訂新版 世界大百科事典 「二重橋」の意味・わかりやすい解説

二重橋 (にじゅうばし)

皇居内の旧西丸地区にある正門鉄橋の別称。皇居正門前の石橋(俗称めがね橋)を渡り,右折してまもなく,新宮殿の中門前の濠に架かっている。江戸時代には現在の皇居正門を西丸大手門,その前の橋を西丸大手橋と称したのに対し,西丸下乗門の手前に位置した関係で西丸下乗橋と呼ばれた。その名のとおり,登城の大名等はこの橋の辺で馬や駕籠から降りる規則になっていた。この橋は深く切り込んだ台地両端にかけられているため,工法上,台地の途中に橋桁を構築し,その上にさらに橋を組むという二段造りの構造になっており,そのため俗に二重橋と呼ばれた。もと木橋であったが,明治宮殿の造営に際し,ドイツ人のウィルヘルム・ハイゼの設計とハルクルト会社の製作によって1888年鉄橋に架け替えられ,さらに昭和宮殿の造営に際して1963年に改架された。なお,俗に正門石橋を二重橋と称し,また石橋と鉄橋の二つを合わせて二重橋と称しているが,これは誤り。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二重橋」の意味・わかりやすい解説

二重橋
にじゅうばし

今日の皇居の正門を入ってから最初に渡る鉄製の橋。江戸城のころ、ここには木造橋が架けられていたが、濠(ほり)から架橋の位置がかなり高かったため、下方にまず橋脚を立てて橋桁(はしげた)を渡し、さらにこの上からまた橋脚を立てて橋桁を渡して、高い橋をつくった。この橋は外見上二重にみえたので二重橋の名がおこった。1883年(明治16)から西之丸での宮殿造営が始まり、西之丸大手門が皇居の正門となって、西之丸下乗橋(げじょうばし)の名があった二重橋も鉄橋に改められた。設計はドイツ人のウィルヘルム・ハイゼで、1888年に完成したが、二重橋の名はそのまま残った。なお、現在の二重橋は1964年(昭和39)の新宮殿造営の際に架け替えられたものである。皇居正門前に二連アーチの石橋があり、その背後にこの鉄橋があるので二重橋というとするのは俗説で、誤りである。

[工藤圭章]


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百科事典マイペディア 「二重橋」の意味・わかりやすい解説

二重橋【にじゅうばし】

東京都千代田区,皇居内の橋。皇居前広場から石橋を渡り,正門をくぐったところにある鉄橋で,江戸時代,木橋を架設する際,地勢と技術上の制約から橋げたを2段造りにしたためこの名がある。今の正門は当時西丸大手門と呼び,石橋は西丸大手橋,二重橋を西丸下乗橋,月見橋と呼んだ。

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事典 日本の地域遺産 「二重橋」の解説

二重橋

(東京都千代田区千代田)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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