ローマの平和(読み)ローマのへいわ(その他表記)Pax Romana[ラテン]

改訂新版 世界大百科事典 「ローマの平和」の意味・わかりやすい解説

ローマの平和 (ローマのへいわ)
Pax Romana[ラテン]

ローマ時代に樹立された地中海世界の平和を〈パクス・ローマーナ〉,すなわち〈ローマの平和〉と呼ぶ。パクスとは平和を意味するギリシア語エイレネeirēnēのラテン語訳で,それを擬人化した女神エイレネは遅くも前4世紀前半にはアテナイ祭祀を受けていた。ローマではアウグストゥスの時代に初めて礼拝されるようになる。前10年のアウグストゥスによるパクス祭祀の導入が最初であったが,前44年以来貨幣面にもパクスは刻まれていた。こうしてローマでは,もともとパクスはアウグストゥスのカリスマ性と結びつき,前13年の元老院議決により〈アウグストゥスの平和の祭壇アラ・パキス・アウグスタエ)〉(アラ・パキス)が設置され,後75年にはウェスパシアヌスによって〈平和の神殿(テンプルム・パキス)〉も建てられた。女神パクスはブドウの枝,豊穣の角,ゲッケイジュ,槍などを象徴として持って図像に現れる。

 このようなアウグストゥスやウェスパシアヌス時代におけるパクスの強調は,ローマ市民団の内部における内乱平定をたたえるものであるのに対して,やがて地中海世界全体における平和をつくり出したものとしてローマをたたえる思想が生まれる。しかしこの場合の平和は,ローマの力の支配によって樹立されたものであることは明らかで,アウグストゥスのカリスマ性を持ち出してこれと結びつけるまでもなく,それは端的に〈ローマの〉平和であった。すでにタキトゥスの作品において,平和とは支配であるという現実はさまざまな機会に表現されていた。そして〈ローマの〉力による平和は,2世紀半ばのアリスティデスの《ローマ頌詩》において属州人の立場からもたたえられる。こうして〈ローマの平和〉は,主として2世紀にローマの支配によってもたらされた,全般的な比較的平和状態を指す語として用いられるが,すでにこのときには〈ローマの平和〉のための祭壇はつくられず,女神ローマのための祭壇が属州各地に設置され,それが多くの場合皇帝礼拝と結合されて,ローマへの忠誠の重要な表現となった。武力支配にほかならないこのような〈ローマの平和〉の本質根底から批判したのは,5世紀のアウグスティヌス神の国》,とくにその第19巻で,ローマの平和を〈地上の平和〉とし,追求すべき真の価値ある平和として,支配によらない〈天上の平和〉を情熱的に論じている。
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百科事典マイペディア 「ローマの平和」の意味・わかりやすい解説

ローマの平和【ローマのへいわ】

ラテン語Pax Romanaの訳。ローマ帝政初期,前1世紀末のアウグストゥスの治世以降ほぼ2世紀末のマルクス・アウレリウス五賢帝の一人)に至る2世紀間をさす。辺境の防衛が固まり,治安が確立し,平和を謳歌したローマの黄金時代。なおパクス(ギリシア語エイレネ)は平和を擬人化した女神で,アウグストゥスがその祭祀を導入。アウグストゥスの神格化と結びつき,〈アウグストゥスの平和の祭壇〉(アラ・パキス)や〈平和の神殿〉(テンプルム・パキス)が建てられ,ローマの力による平和の象徴となった。
→関連項目元首政五賢帝覇権

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローマの平和」の意味・わかりやすい解説

ローマの平和
ろーまのへいわ
Pax Romana ラテン語

地中海世界の覇者となった古代ローマの支配下に保たれた平和の時代およびその状態。パックス・ロマーナともいう。時代的には、広くアウグストゥスの天下平定以降、紀元後1~2世紀をさし、狭くは五賢帝の時代をさす。対外戦争がかならずしも行われなくなったわけではないが、商業、貿易は栄え、均質の文化が支配領域にも広がり、首都ローマの住民も、属州民も太平を謳歌(おうか)できた。ローマの「支配」(インペリウムimperium)の下にある地域に、「自由」と「平和」が保障されたといわれるが、それはあくまでも支配者ローマの立場にたったとらえ方で、現実には被支配地域、被支配者の制圧、搾取のうえに成り立つ平和にすぎず、地域、階層に関しての経済的、社会的な矛盾、対立は消えることなく、平和もけっして永続しなかった。なお、女神パックスの崇拝はアウグストゥスによって紀元前10年に行われ、「アウグストゥスの平和の祭壇」の奉献は前9年に行われている。現在、パックス・ロマーナになぞらえて、パックス・ブリタニカなどと使われる。

[長谷川博隆]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ローマの平和」の解説

「ローマの平和」(ローマのへいわ)
Pax Romana

前1世紀末のアウグストゥス時代から五賢帝時代までの約200年間の時代。古代ローマの黄金時代。外は辺境の守りが固く,内は治安が確立し,帝国の細胞をなす無数の都市の成員が平和を謳歌した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ローマの平和」の解説

ローマの平和
ローマのへいわ

パックス−ロマーナ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローマの平和」の意味・わかりやすい解説

ローマの平和
ローマのへいわ

「パックス・ロマーナ」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のローマの平和の言及

【アントニヌス朝】より

…ピウス帝は先帝ネルウァ,トラヤヌス,ハドリアヌスの例にならってマルクスを養子に迎え帝位を継承させたが,マルクス帝は実子コンモドゥスを後継者に指名した。この時期には,いわゆる〈パクス・ローマーナ(ローマの平和)〉時代の最大領域を維持するために,財政・軍務への圧迫が強まり,帝国行政の諸問題が徐々に露呈してきた。【本村 凌二】。…

【五賢帝】より

…以後,皇帝は最善の人が統治者たるべきであるとするストア哲学の考えに従って後継者を選び,その者を養子とした。トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスと続く治世には,元老院との協調を旨とし属州行政も整備されて,〈パクス・ローマーナ(ローマの平和)〉と呼ばれる繁栄期が訪れた。啓蒙主義時代の歴史家ギボンは,五賢帝の時代を人類史上最も幸福なる時代と語っているが,近年の歴史研究の教えるところでは,肥大化する官僚・軍事機構の財政的負担が,地方都市の有産者層の財力によってかろうじて支えられることのできた時期であり,しだいに政治,経済,社会の諸問題が顕在化してきた時代と言える。…

【平和】より

…いいかえれば,それは文化の中心部にとっての平和であり,周辺部にとっては別の意味をもつ。アントニヌス治下に絶頂期を迎えたローマ帝国におけるパクス・ローマーナ(ローマの平和)とは,帝国の中心部にとっての内部秩序と統一であり,帝国内部の〈戦争の不在〉にすぎず,帝国内外の周辺部(奴隷やバルバロイ)にとっては正義も繁栄も意味せず,略奪,破壊,残虐行為をともなういわば搾取的なシステムであった。ローマに征服されたあとのブリタニア島の住民の皆殺しに関して述べられた,〈彼らは無人の地をつくり,これを平和と呼ぶ〉という言葉は象徴的であろう。…

※「ローマの平和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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