井上光貞(読み)イノウエ ミツサダ

20世紀日本人名事典 「井上光貞」の解説

井上 光貞
イノウエ ミツサダ

昭和期の歴史家 東京大学名誉教授;元・国立歴史民俗博物館館長。



生年
大正6(1917)年9月19日

没年
昭和58(1983)年2月27日

出生地
東京市麻布区(現・東京都港区)

学歴〔年〕
東京帝大文学部国史学科〔昭和17年〕卒,東京帝大大学院国史学科博士課程修了

学位〔年〕
文学博士(東京大学)〔昭和34年〕「日本浄土教成立史の研究

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和55年〕

経歴
昭和24年東大教養学部講師、25年助教授、36年文学部助教授、42年教授、49年文学部長を歴任戦後の日本史研究をリードし、大化の改新以前の古代国家の国制についての実証的研究を行う。「日本古代史の諸問題」(24年)「国造制の成立」(25年)は学会に大きな波紋を投げかけ、主著の「日本国家の起源」(35年)「日本古代国家の研究」(40年)や「神話から歴史へ(日本の歴史〈1〉)」(40年)はベストセラーとなり、古代史ブームの火つけ役となった。53年に定年退官して国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の設立準備室長となり、56年同館の初代館長に就任した。また学生時代から短歌を詠み、没後一周忌に「冬の海」が編まれた。研究自叙伝「わたくしの古代史学」、「井上光貞著作集」(全11巻 岩波書店)がある。明治元勲井上馨曽孫で、元首相・桂太郎外孫

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上光貞」の意味・わかりやすい解説

井上光貞
いのうえみつさだ
(1917―1983)

日本史学者。東京都生まれ。井上馨(いのうえかおる)の曽孫(そうそん)、首相となった桂太郎の孫。1942年(昭和17)東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、大学院に進む。坂本太郎、和辻哲郎(わつじてつろう)に師事。1946年文学部助手、1949年教養学部助教授。1957年インドのデリー大学、1961年アメリカのハーバード大学で教鞭(きょうべん)をとる。1961年東京大学文学部教授。1978年同名誉教授。アカデミックで実証主義的な古代史研究を進め、国家と天皇の起源、古代仏教史、古代日本と東アジアなどと、きわめて広い分野で戦後古代史学の基礎を築いた。1981年国立歴史民俗博物館初代館長。著書に『日本古代史の諸問題』『日本浄土教成立史の研究』『日本国家の起源』『日本古代国家の研究』、自伝『わたくしの古代史学』『井上光貞著作集』など。1983年2月27日没。

[編集部]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「井上光貞」の解説

井上光貞
いのうえみつさだ

1917.9.19~83.2.27

昭和期の日本古代史学者。東京都出身。東大卒。東京大学教授を務め,退官後は国立歴史民俗博物館の初代館長となり,その開館に尽力した。部民制や浄土教の成立に関する研究などで第2次大戦後の日本古代史の研究をリードし,古代国家の形成や律令継受の過程などの解明に努めた。著書「日本古代国家の研究」「日本浄土教成立史の研究」「日本古代思想史の研究」。「井上光貞著作集」全11巻。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上光貞」の解説

井上光貞 いのうえ-みつさだ

1917-1983 昭和時代の日本史学者。
大正6年9月19日生まれ。井上馨(かおる)の曾孫。桂太郎の孫。東京帝大在学中から坂本太郎の指導をうけ,古代政治史・仏教史の実証的研究をおこなう。昭和42年東大教授,49年文学部長。56年国立歴史民俗博物館初代館長。昭和58年2月27日死去。65歳。東京出身。著作に「日本浄土教成立史の研究」「日本古代国家の研究」など。

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367日誕生日大事典 「井上光貞」の解説

井上 光貞 (いのうえ みつさだ)

生年月日:1917年9月19日
昭和時代の歴史家。東京大学教授;国立歴史民俗博物館館長
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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