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井上文雄 いのうえ ふみお

デジタル大辞泉の解説

いのうえ‐ふみお〔ゐのうへふみを〕【井上文雄】

[1800~1871]江戸後期の国学者・歌人。江戸の人。著「伊勢の家苞(いえづと)」「調鶴集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上文雄 いのうえ-ふみお

1800-1871 江戸時代後期の歌人。
寛政12年生まれ。田安家の侍医。岸本由豆流(ゆずる)と一柳千古(ひとつやなぎ-ちふる)にまなぶ。江戸派の歌人で,歌論にもすぐれた。明治4年11月18日死去。72歳。江戸出身。通称は元真。号は柯(歌)堂(かどう),調鶴など。著作に「伊勢(いせ)の家つと」「調鶴集」など。
【格言など】酔(ゑ)ひにたる舎人(とねり)が顔の衣(きぬ)くばりいづれの殿の使なるらむ(「調鶴集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

井上文雄

没年:明治4.11.18(1871.12.29)
生年:寛政12(1800)
江戸後期の国学者,歌人。通称元真,号歌堂,柯堂。田安家の侍医。岸本由豆流,一柳千古に指導を受ける。国学者としての著述に『大井河行幸和歌考証』『冠註大和物語』(1853)などがあるが,むしろ歌人として本領を発揮した。歌学歌論書『伊勢の家づと』がその代表的な著述である。草野御牧,佐佐木弘綱,横山由清ら有力な門人に恵まれて没後も名声は高かった。家集に『調鶴集』がある。<参考文献>熊谷武至「井上文雄文献傍註例」1~4(『続々歌集解題余談』)

(久保田啓一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

いのうえふみお【井上文雄】

1800‐71(寛政12‐明治4)
江戸後期の国学者。通称玄真,号は柯堂,歌堂,調鶴。田安家に医師として仕える。はやくから和歌に関心を示し,初め岸本由豆流に,のち一柳千古に学び,作歌において香川景樹以後の名人と称された。和歌は撰集よりも家集を重んじるべきだとし,古人の家集を愛した。国典にも通じ《大和物語新註》《冠註大和物語》などを著している。随筆に《歌堂随筆》《柯堂枕談》《歌堂酔語》などがある。【南 啓治】

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大辞林 第三版の解説

いのうえふみお【井上文雄】

1800~1871) 江戸後期の国学者・歌人。号、歌堂。江戸の人。田安家侍医。岸本由豆流ゆずるに国学を学び、和歌をよくした。著「伊勢の家苞いえづと」、家集「調鶴集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井上文雄
いのうえふみお
(1800―1871)

江戸後期の歌人。通称元真。家号は歌堂(かどう)。文雄は法号。田安(たやす)家侍医。岸本由豆流(きしもとゆずる)に国学を学び、のち一柳千古(いちやなぎちふる)門。江戸に居住し、歌人としてたつ。歌論に『伊勢(いせ)の家づと』(1864)などがある。『万葉集』を理想とする賀茂真淵(かもまぶち)の説に反対し、『古今集』を尊ぶ香川景樹(かがわかげき)説を支持。江戸派の系統に属する。歌集『調鶴集(ちょうかくしゅう)』(1868)は短歌917首、連歌2首、長歌5首を収録。「さくらちり鈴菜こぼるる田舎道これより春も暮れてゆくらむ」などの写実的な歌がある。明治4年11月没。墓所は東京・谷中(やなか)の玉林寺にある。[辻森秀英]
『辻森秀英著『近世後期歌壇の研究』(1978・桜楓社)』

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