1900年(明治33)桂太郎により,台湾開発のために「地の塩」となって貢献する人材の育成を目標に創立された台湾協会学校が前身。1907年に東洋協会専門学校,18年(大正7)に拓殖大学と改称。1922年に大学令により設立認可。1949年(昭和24)に新制大学として発足し,商学部と政経学部を設置。1977年に外国語学部,87年に工学部,2000年(平成12)に国際開発学部(2007年に国際学部に名称変更)を設置。「積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する教養と品格を具えた有為な人材の育成」を建学の精神に掲げる。キャンパスは東京都文京区と八王子市に所在。2016年5月現在,5学部14学科6研究科からなり,学生数は9676人を数える。国際学部では,アジアを中心とした開発途上国および新興国について学ぶ。また言語教育が充実しており,14の言語を学ぶことができる。「国際社会に貢献しうる人材の育成」という教育方針のもとで,開かれた「国際大学」として海外との提携を図っている。毎年1000人を超す留学生を迎えている。
著者: 山本剛
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
東京都文京区小日向に本部をおく私立大学。1900年台湾協会が台湾,南清方面で活躍する人材養成の目的で設立した台湾協会学校が起源(校長は桂太郎同協会会頭)。04年台湾協会専門学校に発展。朝鮮の京城に分校も設置した。東洋協会植民専門学校などの改称をへて,22年東洋協会大学となり,商科,拓殖科を設置。26年に拓殖大学と改称,東洋の語学,政治経済,歴史に関する学科を重視し,卒業生の多くは植民地の開発・経営に従事した。第2次世界大戦後,紅陵大学と称し,49年新制大学に移行。52年拓殖大学の旧称に復した。現在,商・政経・外国語・工・国際の5学部と大学院(経済・商・工・言語教育・国際協力),短期大学などをもつ。
執筆者:田中 征男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
私立。1900年(明治33)桂太郎(かつらたろう)により創立された台湾協会学校(のちの東洋協会専門学校)を前身とし、1922年(大正11)大学令による東洋協会大学、1949年(昭和24)新制大学(名称は1926年拓殖大学、1946年紅陵(こうりょう)大学、1952年から拓殖大学と変更)に移行。2010年(平成22)時点で、商学、政経学、外国語学、工学、国際学の5学部、大学院(経済学、商学、工学、言語教育、国際協力学、地方政治行政の6研究科)のほかに、留学生別科などをもつ。所在地は東京都文京区小日向(こひなた)3-4-14および東京都八王子市館町(たてまち)815-1。
[喜多村和之]
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