国立大学法人。1897年(明治30)勅令(209号)により、法科、医科、文科、理工科の4分科大学を置く京都帝国大学として設置された。まず理工科大学(1897)が、続いて法科大学、医科大学(1899)、文科大学(1906)の順に開設され、当初の構想が実現された。その後、理工科大学は理科大学と工科大学に分離(1914)した。1919年(大正8)の帝国大学令改正により各分科大学は学部と改称され、理学部、工学部、法学部、医学部、文学部となった。大正年間に経済学部(1919)、農学部(1923)が増設され、一大発展を遂げた。
1949年(昭和24)新制大学への移行に際し、教育学部の新設、旧制第三高等学校を母体とする教養部(1992年、総合人間学部に改組)の設置、1960年医学部から薬学部が分離独立し、現在の10学部体制となった。大学院は総合人間学部をのぞく9学部に研究科(博士課程)が設置されているほか、1996年(平成8)にはエネルギー科学研究科、1997年には人間・環境学研究科、1998年にアジア・アフリカ地域研究科、情報学研究科、1999年生命科学研究科が新設された。2002年(平成14)には地球環境学舎(教育部)、地球環境学堂(研究部)を設置。2006年には公共政策連携研究部、公共政策教育部、経営管理研究部、経営管理教育部を設置。大規模な附置研究所が各分野にわたって設置され、人文系の人文科学研究所、経済研究所、理工系の化学研究所、エネルギー理工学研究所、生存圏研究所、再生医科学研究所、ウイルス研究所、iPS細胞研究所がある。さらに防災研究所、基礎物理学研究所、数理解析研究所、原子炉実験所、霊長類研究所は全国共同利用研究所として運営されている。このほか、東南アジア研究所をはじめ、30以上の附設教育研究施設がある。2004年4月、国立大学法人法の改正に伴い、国立大学法人となる。
歴史的に京都大学は自由な学風を特色とし、第二次世界大戦前の沢柳事件、滝川事件などを通じて大学の自治の確立を目ざそうとしたことでも知られている。第二次世界大戦後は、人文科学研究所の特色ある共同研究、湯川秀樹(ゆかわひでき)をはじめ、朝永振一郎(ともながしんいちろう)、福井謙一(けんいち)、利根川進(とねがわすすむ)、野依良治(のよりりょうじ)など理工系分野でノーベル賞受賞学者を輩出するなど、京都学派を形成している。本部は京都市左京区吉田本町。
[馬越 徹]
『京都大学編・刊『京都帝国大学史』(1943)』▽『京都大学七十年史編集委員会編・刊『京都大学七十年史』(1967)』▽『米沢貞次郎、永田親義著『ノーベル賞の周辺――福井謙一博士と京都大学の自由な学風』(1999・化学同人)』
京都市左京区に本部をおく旧制帝大系の国立総合大学。東京に帝国大学が創設されると関西にも大学を設置する計画や運動が続けられ,1897年法・医・文・理工の4分科大学からなる京都帝国大学が創設され(初代総長は木下広次),まず理工科大学が開設された。99年に法科大学と医科大学が,1906年に文科大学が開設され,14年に理工科大学は理科大学と工科大学に分かれた。19年帝国大学令の改制により,従来の分科大学を学部に改め,法・医・文・理・工の5学部をおいた。同年経済学部,23年農学部を新設し,化学研究所,人文科学研究所,工学研究所(現,エネルギー理工学研究所)などを付置して研究教育体制を整備していった。東京帝大が官僚養成機関の性格を強くもったのに対して,京都帝大は,狩野亨吉が初代学長となった文科大学(文学部)が哲学,史学,文学の3学科制をとり,いわゆる支那学を重視したり,史学地理学講座を設けるなど学科・講座組織に特色をもち,自由闊達で創造的な〈京都学風〉を形成したこと,沢柳事件(1913)で教官任免に関する学部教授会の慣行的自治権や実質的な総長互選制を実現したこと,さらに滝川事件(1933)でもファシズムと戦争勢力に対して全学的な抵抗運動を展開するなど,近代日本の学問形成と大学自治の歴史に特筆すべき位置を占めている。49年に新制大学に改編され,旧制第三高等学校と付属医学専門部を併合し,また教育学部を新設した。前記の研究所のほか基礎物理学研究所(1953創設),数理解析研究所(1963),霊長類研究所(1967)など,多数の付置研究所をもつ。なかでも戦前〈国家ニ須要ナル東亜ニ関スル人文科学ノ綜合研究〉を目的に設置された人文科学研究所も,戦後は日本部,東方部,西洋部のもとに多くの研究班を組織してヨーロッパ思想史や日本文化史,中国史などのすぐれた共同研究の成果を生み出した。また,湯川秀樹のノーベル賞受賞を記念した湯川記念館を前身とする基礎物理学研究所は,学外者を含めた運営委員会をもつ全国初の共同利用研究所として理論物理学の自由で共同的な発展に貢献している。
執筆者:田中 征男
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1869年(明治2)に大阪に設置された舎密局を起源とし,97年に東京に次ぐ2番目の帝国大学として創設。1949年(昭和24)に附属医学専門部と第三高等学校を包括して新制の京都大学が開学した。理工科大学,次いで医科大学,法科大学が設置されて開学した京都帝国大学以降拡大を続け,2016年(平成28)5月現在,10学部18研究科などに日本最多の14研究所などから構成される大規模総合大学である。全国第3位の常勤教員数と全国第4位の校地・校舎面積を誇り,京都市の吉田・宇治・桂の3キャンパスには2016年現在で2万2676人(うち大学院9302人)の学生が学ぶ。本学の特色と称される「自由の学風」は,政治の中心から離れた地において開学以来築いてきたものであり,2001年に定められた大学の基本理念でもある。学術的分野における国内外の指導的人材を多数輩出しており(たとえば日本最多6人のノーベル賞受賞者),タイムズ誌の世界大学ランキングでは,日本では東京大学に次ぐ第59位(2014/15)にランクイン(2015/16は第88位,2016/17は第91位)している。
著者: 平野亮
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…1933年京都帝国大学教授滝川幸辰(ゆきとき)と京都帝国大学に対する思想および学問の自由,大学の自治(教授会の自治)の弾圧事件。京大事件ともいう。1930年代初めの思想問題(大学生の〈赤化〉問題)に危機感を抱いた復古主義的右翼は,その原因が自由主義思想にあるとして,東大の美濃部達吉,牧野英一,末弘厳太郎や京大の滝川ら自由主義的法学者を非難していたが,32年に滝川が中央大学で行った講演(〈《トルストイの《復活》に現はれた刑罰思想〉)をとらえ攻撃を開始した。…
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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