仁木悦子(読み)ニキエツコ

デジタル大辞泉 「仁木悦子」の意味・読み・例文・類語

にき‐えつこ【仁木悦子】

[1928~1986]推理作家。東京の生まれ。本名二日市三重ふつかいちみえ幼時カリエス発病家庭教育を受ける。「猫は知っていた」で江戸川乱歩賞受賞。他に「林の中の家」「赤い猫」など。

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20世紀日本人名事典 「仁木悦子」の解説

仁木 悦子
ニキ エツコ

昭和期の推理作家



生年
昭和3(1928)年3月7日

没年
昭和61(1986)年11月23日

出生地
東京

出身地
富山県富山市神通町

本名
二日市 三重(フツカイチ ミエ)

旧姓(旧名)
大井

別名
別名=大井 三重子(オオイ ミエコ)

主な受賞名〔年〕
江戸川乱歩賞(第3回)〔昭和32年〕「猫は知っていた」,日本推理作家協会賞(第34回)〔昭和55年〕「赤い猫」

経歴
4歳の時カリエスにかかり、以後独学。昭和29年児童文学同人誌「にじ」の発刊に参加、30年童話作家グループ・小さい仲間に入会。36年女流推理作家数名と霧の会を結成。この間、32年本格推理小説「猫は知っていた」で江戸川乱歩賞を受賞し、日本のクリスティと評されデビュー。日本初の本格派女流探偵作家で、その境遇とともに一躍脚光を浴びた。作品に「林の中の家」「二つの陰画」「冷えきった街」などの長編、「粘土の犬」「穴」「虹の立つ村」などの本格推理短編の他、童話集「水曜日のクルト」がある。また「障害者の太平洋戦争を記録する会」を発足させ、夫らと共に、体験記を出版するなどの活動でも知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「仁木悦子」の意味・わかりやすい解説

仁木悦子
にきえつこ
(1928―1986)

推理作家。本名二日市三重。東京生まれ。幼児のときカリエスにかかり、家庭で教育を受ける。1957年(昭和32)処女長編『猫は知っていた』が第3回江戸川乱歩賞受賞作として刊行され、本格派の女流作家として脚光を浴びる。以後、『林の中の家』(1959)、『殺人配線図』(1960)などを発表。アガサ・クリスティ風のドメスティックな作風特色とされている。短編『赤い猫』で、81年度日本推理作家協会賞を受賞した。

厚木 淳]

『『猫は知っていた』(講談社文庫)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仁木悦子」の解説

仁木悦子 にき-えつこ

1928-1986 昭和時代後期の小説家
昭和3年3月7日生まれ。幼時にカリエスにかかり,車椅子の生活をおくる。はじめ童話をかくが,昭和32年「猫は知っていた」で江戸川乱歩賞。以後,推理小説を発表し,56年「赤い猫」で日本推理作家協会賞。昭和61年11月23日死去。58歳。東京出身。本名は二日市三重(ふつかいち-みえ)。著作に「粘土の犬」など。

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367日誕生日大事典 「仁木悦子」の解説

仁木 悦子 (にき えつこ)

生年月日:1928年3月7日
昭和時代の推理作家
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の仁木悦子の言及

【推理小説】より

…第2は,女性の目ざましい進出である。戦前は推理小説の女性愛読者は少なく,女性作家は皆無に近かったが,57年仁木悦子が応募した《猫は知っていた》が第3回江戸川乱歩賞を得てから,続々と女性による傑作が発表され,この点でもイギリス,アメリカの水準に達したといってよい。女性読者の数も松本清張の《点と線》(1958)の驚異的ブーム以後,飛躍的に増大しつつある。…

※「仁木悦子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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