伊藤次郎左衛門(読み)イトウ ジロウザエモン

20世紀日本人名事典 「伊藤次郎左衛門」の解説

伊藤 次郎左衛門(14代目)
イトウ ジロウザエモン

明治・大正期の実業家 松坂屋百貨店店主;貴院議員;名古屋商業会議所会頭。



生年
嘉永1年6月14日(1848年)

没年
昭和5(1930)年12月6日

出身地
愛知県

旧姓(旧名)
伊藤 祐昌(イトウ スケマサ)

別名
後名=伊藤 治助(イトウ ジスケ)

経歴
尾張藩御用達商人筆頭で、江戸初期から続く呉服太物商である13代目伊藤次郎左衛門の二男として生まれる。慶応2年(1866年)家督相続、14代目伊藤次郎左衛門となる。明治に入ると尾張藩会計係、大蔵省為替方を務めた。10年第十一国立銀行設立に参画、14年伊藤銀行、26年伊藤貯蔵銀行を設立。一方、家業呉服商の方では8年に大阪支店を開店、43年株式組織として商号を“いとう屋呉服店”に改称(大正14年“松坂屋”に改称)。大正13年引退して四男に家督を譲った。この間、明治41年多額納税の貴院議員を務めた。


伊藤 次郎左衛門(16代目)
イトウ ジロウザエモン

大正・昭和期の実業家 松坂屋会長。



生年
明治35(1902)年7月5日

没年
昭和59(1984)年12月29日

出生地
愛知県名古屋市

学歴〔年〕
慶応義塾大学文学部〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和48年〕,フランス国家功労勲賞〔昭和54年〕

経歴
呉服商伊藤家の16代当主に生まれ、慶大在学中の大正12年、20歳でいとう呉服店(現・松坂屋)の取締役に就任、昭和8年社長となってから、一時期を除き通算28年間社長を務め、42年から会長。この間25〜29年第15代名古屋商工会議所会頭、26〜29年初代中部経済連合会会長などを兼任、中部財界をリードした。


伊藤 次郎左衛門(15代目)
イトウ ジロウザエモン

明治〜昭和期の実業家 松坂屋社長。



生年
明治11(1878)年

没年
昭和15(1940)年

出生地
愛知県名古屋市

本名
伊藤 祐民(イトウ スケタミ)

別名
幼名=守松

学歴〔年〕
明倫小卒

経歴
明治42年渡米し、百貨店事業を研究。43年帰国、それまでの太物呉服商から本店をデパート業(松坂屋)に転換、発展の基礎を築いた。大正13年家督を相続、社長として昭和8年まで在任。名古屋商工会議所会頭も務めた。伝記に「伊藤祐民伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「伊藤次郎左衛門」の解説

伊藤次郎左衛門(14代)

没年:昭和5.12.6(1930)
生年:嘉永1.6.14(1848.7.14)
明治大正期の実業家。名は祐昌。慶長17(1612)年の清洲越(清洲から名古屋への移転)以来の呉服太物商人を祖とする尾張(名古屋)藩御用達商人の筆頭,伊藤次郎左衛門の14代。慶応2(1866)年家督を相続し,明治初期には尾張藩会計係,次いで大蔵省為替方に就任。明治10(1877)年第十一国立銀行設立にかかわり,14年伊藤銀行,26年伊藤貯蔵銀行を設立。伊藤銀行は大正・昭和恐慌期にも取り付けを免れ得た数少ない銀行のひとつで,経営の着実性とその半面ともいえる積極性に欠ける経営は,名古屋の伝統的商人の特質をよく体現している。15代目を継いだ4男祐民(1878~1940)は,周囲の懸念を払いのけて名古屋最初のデパート業への転換を推進,43年栄町角に店舗を建築し,大正14(1925)年商号を全店統一の「松坂屋」に改称するなどの積極経営を行った。<参考文献>岡戸武平『伊藤家伝』,名古屋市教育委員会編『明治の名古屋人』

(西村はつ)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤次郎左衛門」の意味・わかりやすい解説

伊藤次郎左衛門(いとうじろざえもん)
いとうじろざえもん
(1878―1940)

中京財閥の重鎮。代々の家業は呉服太物(ふともの)商で、尾張(おわり)藩御用商人筆頭、御三家の一つ。伊藤家中興の祖といわれる祐昌の四男として名古屋に生まれる。幼名を守松、諱(いみな)を祐民と称した。明倫小学校高等科卒業。1909年(明治42)アメリカ西部聯合(れんごう)商業会議所の招きで渡米し、百貨店事業について研究を積む。帰国後すぐ、父に勧めて名古屋本店の営業形態をデパート業(現松坂屋)に改めるなど、業務刷新に才腕を振るった。24年(大正13)家督を相続。33年(昭和8)自ら設けた定年制に従って松坂屋社長を辞任した。伊藤財閥系企業の役員、名古屋商業会議所会頭、内閣経済審議会委員その他の公職を務めた。

[西村はつ]

『松坂屋伊藤祐民伝刊行会編『伊藤祐民伝』(1952)』


伊藤次郎左衛門(いとうじろうざえもん)
いとうじろうざえもん

伊藤次郎左衛門

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤次郎左衛門」の解説

伊藤次郎左衛門(13代) いとう-じろうざえもん

1878-1940 明治-昭和時代前期の実業家。
明治11年5月26日生まれ。12代伊藤次郎左衛門の4男。明治42年東京上野のいとう松坂屋で,販売方法を座売りから陳列式に変更。43年名古屋栄町に店舗を新築し,営業形態を近代的百貨店へと脱皮させた。大正13年父の跡をつぎ,伊藤家15代。14年全店の名称を松坂屋に統一した。名古屋商業会議所会頭などを歴任。昭和15年1月25日死去。63歳。名は祐民,のち治助(じすけ)。

伊藤次郎左衛門(12代) いとう-じろうざえもん

1848-1930 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)元年6月14日生まれ。11代伊藤次郎左衛門祐良(すけよし)の次男。慶応2年父の跡をつぎ,伊藤家14代となる。明治8年大阪にいとう呉服店を出店。14年伊藤銀行を設立した。43年呉服店を株式会社に改組。大正13年東京銀座店をひらいた。名古屋商法会議所初代会頭,貴族院議員。昭和5年12月6日死去。83歳。名は祐昌(すけまさ),のち治助(じすけ)。

伊藤次郎左衛門(15代) いとう-じろうざえもん

1932- 昭和後期-平成時代の経営者。
昭和7年7月28日生まれ。14代伊藤次郎左衛門の長男。昭和33年松坂屋にはいり,55年社長。60年実務派の鈴木正雄副社長を会長にすえるが,臨時取締役会で会長と社長の交替が提議され,紛糾のあと会長に就任。三越の岡田茂社長解任とならぶクーデターと話題になる。62年松坂屋伊藤家17代を襲名。愛知県出身。慶大卒。幼名は洋太郎。名は祐洋。

伊藤次郎左衛門(9代) いとう-じろうざえもん

1739-1807 江戸時代中期-後期の商人。
元文4年生まれ。宝暦13年(1763)名古屋の豪商伊藤家11代となり,いとう呉服店を経営。明和5年江戸上野の松坂屋を買収,いとう松坂屋と改称する。寛政8年家督を長男祐躬(すけちか)にゆずって隠居し,茶道にしたしんだ。文化4年2月20日死去。69歳。本姓は荒木。名は祐恵(すけさと)。号は斧山。

伊藤次郎左衛門(14代) いとう-じろうざえもん

1902-1984 昭和時代の実業家。
明治35年7月5日生まれ。13代伊藤次郎左衛門の長男。松坂屋伊藤家16代。昭和8年松坂屋社長となる。第二次大戦の被災からたちなおり,新店舗の開設につとめた。名古屋商工会議所会頭,日本百貨店協会会長などを歴任。昭和59年12月29日死去。82歳。慶大卒。名は祐茲。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊藤次郎左衛門」の解説

伊藤 次郎左衛門(14代目) (いとう じろうざえもん)

生年月日:1848年6月14日
明治時代;大正時代の実業家。松坂屋百貨店店主;伊藤銀行取締役
1930年没

伊藤 次郎左衛門(14代目) (いとう じろうざえもん)

生年月日:1902年7月5日
昭和時代の実業家。松坂屋社長
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android