伊藤永之介(読み)いとうえいのすけ

精選版 日本国語大辞典 「伊藤永之介」の意味・読み・例文・類語

いとう‐えいのすけ【伊藤永之介】

小説家。「文芸戦線同人として活躍、その後多く東北農村生活を描く。著作「鶯」「湖畔の村」「警察日記」など。明治三六~昭和三四年(一九〇三‐五九

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デジタル大辞泉 「伊藤永之介」の意味・読み・例文・類語

いとう‐えいのすけ【伊藤永之介】

[1903~1959]小説家。秋田の生まれ。本名、栄之助。東北の貧しい農民の生活を共感を込めて描き、独自の農民文学開拓。作「」「」「警察日記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤永之介」の意味・わかりやすい解説

伊藤永之介
いとうえいのすけ
(1903―1959)

小説家。秋田市生まれ。本名栄之助。秋田市中通小学校高等科卒業。1924年(大正13)同郷の先輩金子洋文(ようぶん)を頼って上京、初め『文芸戦線』や『文芸時代』に評論を書くが、のちプロレタリア文学運動に加わって、主として創作に転じた。このころの作品に、満州(中国東北部)を放浪する朝鮮農民を描いた『万宝山』(1931)などがあるが、プロレタリア文学衰退とともに数年間沈黙。36年(昭和11)『梟(ふくろう)』によって再起、鳥類ものと称される以降の作品群は東北農民の無知悲惨さを共感を込めて描き、独自の農民文学を開拓した。『鶯(うぐいす)』(1938)で新潮文芸賞受賞。第二次世界大戦後、『雪代とその一家』『なつかしい山河』などのほか、『警察日記』シリーズがある。54年(昭和29)和田伝(つとう)らと日本農民文学会をおこし、一時その会長にもついて戦後の農民文学再建に意を注いだ。

[高橋春雄]

『『伊藤永之介作品集』全三巻(1971~73・ニトリア書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊藤永之介」の意味・わかりやすい解説

伊藤永之介
いとうえいのすけ

[生]1903.11.21. 秋田
[没]1959.7.26. 横手
小説家。本名,栄之助。高等小学校卒業後,秋田市内で働き,1924年金子洋文を頼って上京,『やまと新聞』に勤務しながら同年『新作家論』を発表,川端康成らに注目された。 28年『文芸戦線』同人となって,『見えない鉱山 (やま) 』 (1928) ,『恐慌』 (29) ,『暴動』 (30) ,『万宝山』 (31) などで注目された。東北地方大凶作の 31年頃から農村に取材するようになり,転向文学の一変種として,農民の無知と悲惨,純朴さを説話体でユーモラスに描いた『梟 (ふくろう) 』 (36) ,『鴉 (からす) 』 (38) ,『鶯 (うぐいす) 』 (38) などの「鳥類もの」をはじめ,「動物もの」「魚もの」のユニークな作品で農民文学に新生面を開いた。第2次世界大戦後の代表作は連作『警察日記』 (52) ,『続警察日記』 (55) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤永之介」の解説

伊藤永之介 いとう-えいのすけ

1903-1959 昭和時代の小説家。
明治36年11月21日生まれ。金子洋文(ようぶん)をたよって上京し,「文芸戦線」などに評論,小説をかく。のち創作に専念し,昭和11年の「梟」「鶯」などの鳥類もので農民文学作家の地位を確立。29年和田伝らと日本農民文学会を創立した。昭和34年7月26日死去。55歳。秋田県出身。本名は栄之助。作品はほかに「警察日記」シリーズなど。

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