改訂新版 世界大百科事典 「伊達行朝」の意味・わかりやすい解説
伊達行朝 (だてゆきとも)
生没年:1291-1348(正応4-正平3・貞和4)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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南北朝時代の奥羽の武将。後年、行宗(ゆきむね)と改称。元弘(げんこう)の変(1331)に北条高時(ほうじょうたかとき)の命で西上。建武(けんむ)政権下における陸奥国府(むつこくふ)の式評定衆(しきひょうじょうしゅう)、引付(ひきつけ)。足利尊氏(あしかがたかうじ)が反旗を翻したのち、1335年(建武2)12月北畠顕家(きたばたけあきいえ)とともに上洛(じょうらく)し、尊氏を九州に追う。こののち南朝側の武将として活躍。顕家の戦死後、一時吉野に移り、さらに常陸(ひたち)の北畠親房(ちかふさ)のもとに至る。40年(興国1・暦応3)ごろ奥州に戻り奥羽各地を転戦。その後南朝側不利となり、貞和(じょうわ)4年58歳で死去した。
[伊藤喜良]
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