佐久良東雄(読み)サクラアズマオ

精選版 日本国語大辞典 「佐久良東雄」の意味・読み・例文・類語

さくら‐あずまお【佐久良東雄】

  1. 幕末の志士、歌人。号は薑園(きょうえん)常陸の人。はじめ僧、のち還俗。平田篤胤の門に国学を学ぶ。桜田門外の変に連座し、獄死。歌集「薑園集」。文化八~万延元年(一八一一‐六〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐久良東雄」の意味・わかりやすい解説

佐久良東雄
さくらあずまお
(1811―1860)

江戸後期の歌人。常陸(ひたち)国新治(にいはり)郡浦須村(茨城県石岡(いしおか)市)の農家に生まれる。本名飯島吉兵衛。9歳で僧侶(そうりょ)となったが、和歌を好み、歌名を東雄、号を薑園(きょうえん)と称した。32歳で平田篤胤(あつたね)の門人となって万葉の歌を学び国学を究め、翌年僧衣を焼いて還俗(げんぞく)し、桜(佐久良)靭負(ゆきえ)と称した。35歳で京都に上り、皇居衰微を嘆き尊皇運動に急進した。50歳の春に桜田門外の変が起こり、水戸藩士庇護(ひご)の罪によって捕らえられ、江戸・伝馬町の獄中で絶食死した。家集『薑園歌集』(1942刊)がある。

[兼清正徳]

 世をなげき君をおもひし東雄のちからのかぎり尽すべきなり

『望月茂著『佐久良東雄』(1942・講談社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「佐久良東雄」の意味・わかりやすい解説

佐久良東雄 (さくらあずまお)
生没年:1811-60(文化8-万延1)

幕末の志士,歌人。常陸国新治郡浦須村の人。静馬,靱負と称し薑園(きようえん)と号した。師の康哉法師から《万葉集》を習う。水戸の志士と交わるに及び還俗して国事に奔走,1860年の桜田門外の変に連座し,江戸の獄に移されたが絶食して死んだ。その遺言状は烈々たる精神にあふれている。〈今聞きていまし死ぬともうれしきは上なき神の道にぞありける〉(《薑園歌集》)。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐久良東雄」の解説

佐久良東雄 さくら-あずまお

1811-1860 江戸時代後期の尊攘(そんじょう)運動家,歌人。
文化8年3月21日生まれ。平田篤胤(あつたね)の門で国学をまなび,水戸藩の勤王派とまじわる。のち京都の妙法院宮家につかえ,桜田門外の変を計画した高橋多一郎父子をかくまったため捕らえられ,万延元年6月27日獄死。50歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。本姓は飯島。名は良哉。通称は靱負,静馬など。号は薑園(きょうえん)。姓は桜ともかく。家集に「薑園歌集」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐久良東雄」の意味・わかりやすい解説

佐久良東雄
さくらあずまお

[生]文化8(1811)? 常陸
[没]万延1(1860).6.27. 江戸
幕末の尊王派志士。常陸国土浦藩の郷士に生れ,初め僧侶,のち国学者平田篤胤に師事。京都妙法院に出仕したが,尊王の志が厚く,井伊大老暗殺 (→桜田門外の変 ) の犯人をかくまって幕吏に捕えられ,伝馬町の獄舎で餓死した。

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367日誕生日大事典 「佐久良東雄」の解説

佐久良東雄 (さくらあずまお)

生年月日:1811年3月21日
江戸時代末期の歌人;志士
1860年没

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世界大百科事典(旧版)内の佐久良東雄の言及

【土浦藩】より

…このため,38年土屋寅直の襲封前後より,その側近大久保要らを中心に藩政改革の気運が起こり,儒学者藤森弘庵や同藩の名主出身で水戸藩天保検地の実務を担当した農政学者長島尉信らを登用し,農村の復興政策や藩士の教育,軍制の改革が試みられた。幕末期には水戸藩の影響を受け,飯泉一蔵,佐久良東雄ら尊王攘夷派の志士が出たが,安政の大獄で大久保要以下が処罰されると,改革も中断し明治維新に及んだ。【白川部 達夫】。…

※「佐久良東雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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