(沼田哲)
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江戸後期の歌人。常陸(ひたち)国新治(にいはり)郡浦須村(茨城県石岡(いしおか)市)の農家に生まれる。本名飯島吉兵衛。9歳で僧侶(そうりょ)となったが、和歌を好み、歌名を東雄、号を薑園(きょうえん)と称した。32歳で平田篤胤(あつたね)の門人となって万葉の歌を学び国学を究め、翌年僧衣を焼いて還俗(げんぞく)し、桜(佐久良)靭負(ゆきえ)と称した。35歳で京都に上り、皇居の衰微を嘆き尊皇運動に急進した。50歳の春に桜田門外の変が起こり、水戸藩士庇護(ひご)の罪によって捕らえられ、江戸・伝馬町の獄中で絶食死した。家集『薑園歌集』(1942刊)がある。
[兼清正徳]
世をなげき君をおもひし東雄のちからのかぎり尽すべきなり
『望月茂著『佐久良東雄』(1942・講談社)』
幕末の志士,歌人。常陸国新治郡浦須村の人。静馬,靱負と称し薑園(きようえん)と号した。師の康哉法師から《万葉集》を習う。水戸の志士と交わるに及び還俗して国事に奔走,1860年の桜田門外の変に連座し,江戸の獄に移されたが絶食して死んだ。その遺言状は烈々たる精神にあふれている。〈今聞きていまし死ぬともうれしきは上なき神の道にぞありける〉(《薑園歌集》)。
執筆者:竹下 数馬
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…このため,38年土屋寅直の襲封前後より,その側近大久保要らを中心に藩政改革の気運が起こり,儒学者藤森弘庵や同藩の名主出身で水戸藩天保検地の実務を担当した農政学者長島尉信らを登用し,農村の復興政策や藩士の教育,軍制の改革が試みられた。幕末期には水戸藩の影響を受け,飯泉一蔵,佐久良東雄ら尊王攘夷派の志士が出たが,安政の大獄で大久保要以下が処罰されると,改革も中断し明治維新に及んだ。【白川部 達夫】。…
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