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佐貫城 さぬきじょう

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日本の城がわかる事典の解説

さぬきじょう【佐貫城】

千葉県富津市にあった戦国時代から江戸時代にかけての平山城(ひらやまじろ)。北上川と染川の流れる2つの谷にはさまれた丘陵につくられた城である。応永年間に真里谷氏(上総武田氏)によって築かれたとされるが、諸説ある。ともかく、戦国時代には真里谷氏の城となっていたが、1537年(天文6)に同氏に跡目相続の内紛が起こり、庶子の真里谷信隆が拠って、真里谷信応と対立したが、信応を支援する小弓公方・足利義明と里見義堯らに攻められて落城。以降、里見氏の属城となり、義堯の嫡男・義弘が入城した。義堯は本城の久留里城(君津市)と、義弘の佐貫城の2城を中心に真里谷氏や北条氏への備えとした。義堯から家督を継いだ義弘は、一時期、佐貫城を里見氏の本城としていたこともある。1545年(天文14)、同城を北条氏康が攻略したが、以降、里見氏と北条氏の争奪の対象となった。1562年(永禄5)には、上杉謙信に古河を追われた古河公方・足利義氏が、北条氏康の庇護のもとに同城に仮御所を置いたこともある。天正18年(1590年)の小田原の役後、里見氏の上総領が没収され、領地は安房一国になったため、そのほかの上総の里見氏の属城と同様召し上げられ、関東に入部した徳川家康に与えられた。家康は、佐貫城に譜代の家臣の内藤家長を配し、家長は同城を近世の城郭として整備した。その後、松平氏を経て柳沢吉保が入城したが、吉保の川越移封に伴い廃藩・廃城となった。その後、1710年(宝永7)に阿部正鎮が入部して佐貫藩が復活し、正鎮は佐貫城を再興。以降、阿部氏代々が城主を務めて明治維新を迎えた。1871年(明治4)の廃藩置県に伴い、同城は廃城となった。現在、本丸や二の丸、三の丸の各曲輪(くるわ)が良好な状態で残っている。このうち、本丸と二の丸は武田・里見氏時代の中世城郭の特徴が残っており、江戸時代の藩庁の中心となった三の丸には大手門の石垣や曲輪、櫓(やぐら)台跡など、江戸時代の城郭の遺構が残っている。この櫓台をはじめ、同城には、上総の城郭としてはめずらしい石積みが多用されていたのも大きな特徴である。JR内房線佐貫駅から徒歩約30分(約1.8km)。◇亀ヶ城とも呼ばれる

出典|講談社
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