日光例幣使街道(読み)にっこうれいへいしかいどう

精選版 日本国語大辞典 「日光例幣使街道」の意味・読み・例文・類語

にっこうれいへいし‐かいどうニックヮウカイダウ【日光例幣使街道】

  1. 江戸時代朝廷から日光東照宮への例幣使が通る道。中山道倉賀野から分かれ、玉村・御料(五料)・芝(柴)・木崎太田八木梁田(簗田)・天命天明)・犬伏・富田栃木・合戦場・金崎・楡木・奈佐原・鹿沼・文挟・板橋を経て今市にいたる街道をいう。

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日本歴史地名大系 「日光例幣使街道」の解説

日光例幣使街道
につこうれいへいしかいどう

日光東照宮への奉幣のために京都からの例幣使が参向する街道。単に例幣使道ともよばれた。中山道倉賀野くらがの宿(現高崎市)から壬生みぶ楡木にれき宿(現栃木県鹿沼市)まで二三里余、一三宿で、うち上野国内は九里半、西から玉村たまむら(現佐波郡玉村町)五料ごりよう(現同上)しば(現伊勢崎市)木崎きざき(現新田郡新田町)、太田(現太田市)の五宿があった。五料宿―柴宿間に五料関所があり、同関所近くの五料河岸で利根川を渡河する。正保四年(一六四七)に日光例幣使の派遣が始まり、以後徐々に整備されていく。明和元年(一七六四)道中奉行の管轄となり(五駅便覧)、同三年宿駅伝馬が整えられ囲人馬五人・五疋が常備された(「玉村宿人馬日締帳」加賀美文書)

東照宮への奉幣のため一行は例年四月一日に京都を出立、中山道を下り、同月一〇日には上野に入り坂本さかもと宿(現碓氷郡松井田町)に宿泊。翌一一日は倉賀野から当街道に入り玉村宿に宿泊。一二日早朝五料関所を抜け、六つ半には柴宿の関根本陣で小休、木崎宿で昼食、太田宿で小休をとり同日は下野国天明てんみよう宿(現栃木県佐野市)に投宿している。

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百科事典マイペディア 「日光例幣使街道」の意味・わかりやすい解説

日光例幣使街道【にっこうれいへいしかいどう】

江戸時代,日光例幣使が通行した街道。たんに例幣使街道ともいう。上野国の倉賀野(くらがの)宿で中山(なかせん)道から東に分岐,玉村・五料(ごりょう)を経て利根川を渡り,柴(しば)・木崎(きざき)・太田を過ぎ下野国に入る。八木・梁田(やなだ)・天明(てんみょう)・犬伏(いぬぶし)・富田(とみだ)と東進したのち,栃木・合戦場(かっせんば)・金崎(かなさき)と北上,楡木(にれぎ)宿(現鹿沼市)で壬生(みぶ)通に合する。この先は壬生通・日光道中を経て日光に達したが,広義には日光道中今市(いまいち)宿までが日光例幣使街道とされた。1646年,徳川家康忌日(4月17日)の東照宮大祭に朝廷から奉幣使が派遣されたが,翌年からこれが恒例となり,当街道を奉幣使一行が通行することとなった。1764年に道中奉行の管轄下となる。当街道は今市からさらに会津西街道につながり,会津地方と江戸を結ぶ商品流通路としての性格も有した。
→関連項目太田[市]大平[町]境[町]佐野[市]宿村大概帳玉村[町]都賀[町]天明栃木[県]栃木[市]西方[町]新田[町]脇街道

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改訂新版 世界大百科事典 「日光例幣使街道」の意味・わかりやすい解説

日光例幣使街道 (にっこうれいへいしかいどう)

江戸時代に日光例幣使が通行した街道で,中山道倉賀野宿(高崎市)から分岐して,利根川と渡良瀬川を渡り,下野国の中西部の山ぞいを北上して楡木(にれき)宿(鹿沼市)で壬生通りに合する。玉村,五料,芝,木崎,太田,八木,梁田(やなだ),天明(てんみよう),犬伏(いぬぶし),富田,栃木,合戦場(かつせんば),金崎の13宿があり,全長約80km。楡木から北は壬生通りであるが,広義には,楡木,奈佐原,鹿沼,文挟(ふばさみ),板橋の5宿と日光道中の今市宿までも含めて呼ばれている。天明から北は1617年(元和3)日光山に改葬された徳川家康の遺骸が通った道であり,栃木,あるいは楡木から北は家康廟(のちの東照宮)造営の資材が送り込まれた道筋であった。1646年(正保3)朝廷から東照宮へ遣わされた奉幣使が,翌年から毎年4月17日の家康忌日の大祭のために通行する道として,日光例幣使街道と呼ばれ,1764年(明和1)道中奉行の管轄になった。今市からさらに北方の会津方面とつながり,鹿沼や栃木などの地方商業都市や河岸,さらに壬生通りの壬生河岸ともつながり,木材,薪炭,各種畑作物などの地域の物産を輸送し,肥料や塩などを輸入するための重要な商品流通路でもあった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日光例幣使街道」の意味・わかりやすい解説

日光例幣使街道
にっこうれいへいしかいどう

江戸時代,日光に通じる脇街道の一つ。毎年4月の東照宮大祭に勅使が奉幣して通ったのでこの名がある。京都から中山道を下り,上野国倉賀野 (高崎市) で中山道と分れ,玉村,五料,太田を経て下野国に入り,八木,天命 (佐野市) ,栃木を経て,楡木で日光西街道に合流し,今市で日光街道に合する。玉村から楡木まで約 90kmで,その間 14宿,各宿駅には人馬各 25を常備した。

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