日光東照宮への奉幣のために京都からの例幣使が参向する街道。単に例幣使道ともよばれた。中山道
東照宮への奉幣のため一行は例年四月一日に京都を出立、中山道を下り、同月一〇日には上野に入り
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江戸時代に日光例幣使が通行した街道で,中山道倉賀野宿(高崎市)から分岐して,利根川と渡良瀬川を渡り,下野国の中西部の山ぞいを北上して楡木(にれき)宿(鹿沼市)で壬生通りに合する。玉村,五料,芝,木崎,太田,八木,梁田(やなだ),天明(てんみよう),犬伏(いぬぶし),富田,栃木,合戦場(かつせんば),金崎の13宿があり,全長約80km。楡木から北は壬生通りであるが,広義には,楡木,奈佐原,鹿沼,文挟(ふばさみ),板橋の5宿と日光道中の今市宿までも含めて呼ばれている。天明から北は1617年(元和3)日光山に改葬された徳川家康の遺骸が通った道であり,栃木,あるいは楡木から北は家康廟(のちの東照宮)造営の資材が送り込まれた道筋であった。1646年(正保3)朝廷から東照宮へ遣わされた奉幣使が,翌年から毎年4月17日の家康忌日の大祭のために通行する道として,日光例幣使街道と呼ばれ,1764年(明和1)道中奉行の管轄になった。今市からさらに北方の会津方面とつながり,鹿沼や栃木などの地方商業都市や河岸,さらに壬生通りの壬生河岸ともつながり,木材,薪炭,各種畑作物などの地域の物産を輸送し,肥料や塩などを輸入するための重要な商品流通路でもあった。
執筆者:河内 八郎
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