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何応欽 かおうきん He Ying-qin

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

何応欽
かおうきん
He Ying-qin

[生]光緒16(1890).4.2. 貴州,興義
[没]1987.10.21. 台北
中国,台湾の軍人,政治家。字は敬之。日本陸軍士官学校 11期卒業。留学中,中国革命同盟会に加入し辛亥革命第二革命に参加。 1924年黄埔軍官学校教務主任,26年の北伐には東路軍総指揮となり,国民政府委員,国民革命軍総司令部参謀総長国民党中央執行委員などを歴任。

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デジタル大辞泉の解説

か‐おうきん【何応欽】

[1890~1987]中国の軍人・政治家。貴州省興義県の人。日本の陸軍士官学校卒。蒋介石の腹心として国民革命軍の要職を歴任。1935年日本との間に梅津‐何応欽協定を締結。1949年、行政院長に就任。台湾に渡って引退。ホー=インチン。

ホー‐インチン【何応欽】

かおうきん(何応欽)

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百科事典マイペディアの解説

何応欽【かおうきん】

中華民国の軍人。貴州省の人。日本の陸軍士官学校を卒業し国民党内で知日派の巨頭。1926年北伐で活躍し,参謀長となる。1933年軍事委員会北平分会主任となり,華北における日中間の軍事折衝に当たり,1935年梅津・何応欽協定を締結。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

何応欽 か-おうきん

1890-1987 中国の軍人。
光緒16年閏(うるう)2月13日生まれ。日本に留学中,中国同盟会に参加。帰国後,国民党中央執行委員,国民革命軍参謀長などをつとめる。満州事変後,梅津・何応欽協定をむすぶ。蒋介石の側近として反共工作を指導。中華人民共和国の成立後,台湾にのがれ,国民党の要職を歴任。1987年10月21日死去。98歳。貴州省出身。日本の陸軍士官学校卒。字(あざな)は敬之。

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世界大百科事典 第2版の解説

かおうきん【何応欽 Hé Yīng qīn】

1890‐1987
中国国民党の知日派軍人の一人。貴州省出身。日本陸軍士官学校卒業。留学中に中国同盟会に加入し辛亥革命に参加した。国民政府委員,国民革命軍総司令部参謀長,国民党中央執行委員,軍政部長,参謀総長などを歴任。1935年華北の反日運動を押さえ,華北支配を固めようとする日本の意図に屈して妥協を図り,梅津(美治郎)=何応欽協定を締結した。また蔣介石の側近として反共工作を指導。44年陸軍総司令,48年国防部長,49年行政院長。

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大辞林 第三版の解説

かおうきん【何応欽】

1889~1987) 中国の軍人。日本の陸士卒。国民革命軍の要職を歴任、1935年梅津-何応欽協定を結んで日本の華北支配を容認。人民中国成立後、台湾に渡った。ホー=インチン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

何応欽
かおうきん / ホーインチン
(1889―1987)

中国の軍人、政治家。貴州(きしゅう/コイチョウ)省の人。1916年(大正5)日本の陸軍士官学校を卒業。在日中に中国同盟会に加入して、辛亥(しんがい)革命後の反袁世凱(えんせいがい)の政争に参加。1924年黄埔(こうほ)陸軍軍官学校の教頭、ついで北伐の国民革命軍第一軍団長となり、参謀長も歴任し、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)を助けた。満州事変後、日本との妥協を策し、北京(ペキン)軍事分会委員長のとき、1935年に梅津‐何応欽協定を締結して日本軍の華北支配を助けた。日中戦争のさなか1939年に陸軍総司令、戦後1947年には国連安保理事会参謀長会議に中国代表として出席。人民共和国成立後は台湾に逃れ、MRA(道徳再武装運動、現IC=Initiatives of Change)などで活動。台湾戦略顧問委員会主任委員などの要職を務めた。[加藤祐三]

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