中国の軍人、政治家。貴州(きしゅう/コイチョウ)省の人。1916年(大正5)日本の陸軍士官学校を卒業。在日中に中国同盟会に加入して、辛亥(しんがい)革命後の反袁世凱(えんせいがい)の政争に参加。1924年黄埔(こうほ)陸軍軍官学校の教頭、ついで北伐の国民革命軍第一軍団長となり、参謀長も歴任し、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)を助けた。満州事変後、日本との妥協を策し、北京(ペキン)軍事分会委員長のとき、1935年に梅津‐何応欽協定を締結して日本軍の華北支配を助けた。日中戦争のさなか1939年に陸軍総司令、戦後1947年には国連安保理事会参謀長会議に中国代表として出席。人民共和国成立後は台湾に逃れ、MRA(道徳再武装運動、現IC=Initiatives of Change)などで活動。台湾戦略顧問委員会主任委員などの要職を務めた。
[加藤祐三]
中国国民党の知日派軍人の一人。貴州省出身。日本陸軍士官学校卒業。留学中に中国同盟会に加入し辛亥革命に参加した。国民政府委員,国民革命軍総司令部参謀長,国民党中央執行委員,軍政部長,参謀総長などを歴任。1935年華北の反日運動を押さえ,華北支配を固めようとする日本の意図に屈して妥協を図り,梅津(美治郎)・何応欽協定を締結した。また蔣介石の側近として反共工作を指導。44年陸軍総司令,48年国防部長,49年行政院長。50年以来,台湾の国民党政府戦略顧問委員会主任委員をつとめる。
執筆者:藤井 昇三
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1890~1987
中国の軍人。貴州省興義県の人。日本の陸軍士官学校卒業。帰国後,革命運動に参加し,辛亥(しんがい)革命,国民革命に加わる。1928年,蒋介石(しょうかいせき)のもとで参謀長となり,35年には軍事委員会北平分会主任として日本との軍事折衝にあたり,梅津‐何応欽協定を結ぶ。日中戦争中は軍政,軍令の要職を歴任,44年陸軍総司令となる。45年国際部長,49年行政院長に就任したが,上海失陥のためまもなく引責辞職。
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