保高徳蔵
やすたかとくぞう
(1889―1971)
小説家。大阪生まれ。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。『読売新聞』記者、博文館編集者を経て、1921年(大正10)『早稲田文学』に処女作『棄(す)てられたお豊(とよ)』を発表。28年(昭和3)関東大震災後の生活の変動を素材とした自伝小説『泥濘(でいねい)』で第1回改造社懸賞小説に当選した。のち『文芸首都』の主宰者として後進の指導にあたる。主著に小説集『孤独結婚』『勝者敗者』『或(あ)る死或る生』『道』や、評論集『作家と文壇』がある。
[栗坪良樹]
『『保高徳蔵選集』全1巻(1972・新潮社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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保高 徳蔵
ヤスタカ トクゾウ
大正・昭和期の小説家
- 生年
- 明治22(1889)年12月7日
- 没年
- 昭和46(1971)年6月28日
- 出生地
- 大阪府大阪市南区宗右衛門町
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学英文科卒
- 経歴
- 中学卒業後、父の仕事で朝鮮に渡る。明治43年上京し、早稲田大学に入学。卒業後は読売新聞記者、博文館編集者や家業の手伝いをする。大正10年「棄てられたお豊」を発表。昭和3年「泥濘」が第1回改造社懸賞小説に入選した。7年「文学クオタリイ」を、8年「文芸首都」を創刊して主宰し、「文芸首都」は45年まで続き、多くの新人作家を育てた。著書に「孤独結婚」「勝者敗者」「道」(未完)や「作家と文壇」「人間青野季吉」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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保高徳蔵 やすたか-とくぞう
1889-1971 大正-昭和時代の小説家。
明治22年12月7日生まれ。保高みさ子の夫。「読売新聞」記者,博文館編集者をつとめ,昭和3年「泥濘(でいねい)」が「改造」の懸賞小説に当選したのを機に作家生活にはいる。8年から同人誌「文芸首都」を主宰,芝木好子,北杜夫(もりお),中上健次らおおくの作家をそだてた。昭和46年6月28日死去。81歳。大阪出身。早大卒。作品に「棄(す)てられたお豊(とよ)」「孤独結婚」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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保高 徳蔵 (やすたか とくぞう)
生年月日:1889年12月7日
大正時代;昭和時代の小説家
1971年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の保高徳蔵の言及
【同人雑誌】より
…文芸,社会思想がたがいに競い合った明治末年ごろから青年グループによる雑誌の刊行がさかんとなり,昭和初年には〈同人雑誌の全盛期〉(高見順)となった。第2次大戦の衰微期をはさんで保高(やすたか)徳蔵・みさ子がつづけた《文芸首都》(1933‐69)は長期にわたる新人発掘の努力で名高い。なお,英米で[リトル・マガジン]と呼ばれる文芸雑誌の伝統は,非営利という特徴で同人雑誌と共通しているが,既成の作家や評論家の芸術主張を主にしていて,若手の習作などの場ではない。…
※「保高徳蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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