元和偃武(読み)ゲンナエンブ

デジタル大辞泉 「元和偃武」の意味・読み・例文・類語

げんな‐えんぶ〔ゲンワ‐〕【元和×偃武】

《「偃武」は武力を用いない意》元和元年(1615)の大坂夏の陣以後、世の中が太平になったこと。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「元和偃武」の意味・読み・例文・類語

げんな‐えんぶゲンワ‥【元和偃武】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「元和」という元号に、武器をふせて用いない意の「偃武」という熟語(「書経‐武成」の「偃武修文」)を付加したもの ) 「元和」は後水尾天皇の代の年号一六一五‐二四)で、大坂夏の陣の後、世の中が太平になったことをいう。江戸幕府初政を称讚するのに利用されたことば。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「元和偃武」の意味・わかりやすい解説

元和偃武
げんなえんぶ

元和1 (1615) 年,大坂の陣が終り豊臣氏の滅亡後平和な時代になったこと。そのときの年号をとって元和偃武とした。偃武とは,武器を伏せて用いないこと。しかし元和以降幕末までまったく紛争がなかったわけではなく,寛永 14 (37) 年の島原の乱や,慶安4 (51) 年の由井正雪の乱 (→慶安事件 ) などいろいろな政情不安はあったが,幕藩体制そのものをゆるがすような大規模な反乱はみられなかった。その点で元和偃武は歴史的意義をもつといえる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「元和偃武」の意味・わかりやすい解説

元和偃武
げんなえんぶ

偃武とは武器を伏せ納めて用いないことで、戦乱が収まり天下が泰平になること。1615年(慶長20)5月、大坂夏の陣で豊臣(とよとみ)氏が滅び、7月13日、元和と改元された。以後、島原(しまばら)の乱のような波瀾(はらん)もあったが、幕府の存立を脅かすほどのものではなく、長く泰平の世が続いたので、ときの年号を冠して「元和偃武」といった。

岡本良一

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「元和偃武」の解説

元和偃武
げんなえんぶ

戦国争乱が1615年(元和元)の大坂夏の陣による豊臣氏滅亡で終息したこと。「偃武」とは武器をおさめる意で,戦争の終結を意味する。大坂の陣に際し,諸大名は幕府の動員令に従って出陣したが,それによって諸大名の軍事力も幕府に統轄されていることが証明された。これを機に,幕府は一国一城令武家諸法度を発令して軍事的統制も実現した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「元和偃武」の意味・わかりやすい解説

元和偃武【げんなえんぶ】

偃武は武器をおさめる意で,戦乱が終わり平和になることをいう。元和1年(1615年)の大坂夏の陣を最後に,長い戦乱がようやく終結したこと。
→関連項目慶安事件

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「元和偃武」の解説

元和偃武
げんなえんぶ

江戸初期,大坂夏の陣が終わったのち,世の中が平和になったこと
偃武とは武をやめる意。1615年大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡し,元和と改元されてから戦乱もなく,以後江戸末期まで約250年の太平の世が開かれた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の元和偃武の言及

【大坂の陣】より

…以後,徳川氏の政権は250年余にわたって安定し,大名の間の戦争が絶えた。このことを後年〈元和偃武(げんなえんぶ)〉という。【高木 昭作】。…

※「元和偃武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android