光恩寺(読み)こうおんじ

日本歴史地名大系 「光恩寺」の解説

光恩寺
こうおんじ

[現在地名]和歌山市大垣内

紀ノ川南岸の河岸段丘上にある。懐岳山正清院と号し、浄土宗。阿弥陀如来本尊とする。「紀小倉光恩寺開祖信誉上人伝」によると、天正一八年(一五九〇)小倉おぐら郷の津田監物に招かれた信誉の建立という。「続風土記」にも信誉が自分の法諱をもって寺号を光恩寺としたとあり、また小倉荘三毛みけ以西の七ヵ村(現和歌山市)村民真言宗から浄土宗に改宗させ、一村に一寺ずつ末寺を建てたとある。元和七年(一六二一)和歌山藩主徳川頼宣は、蒲生秀行の妻で後に浅野長晟に再嫁した妹正清院の遺骨を、吹上すいじよう寺より当寺に改葬し、山林田畑を寄付している。


光恩寺
こうおんじ

[現在地名]千代田町赤岩

赤岩あかいわ集落南西部にあり、北西曹洞宗安楽あんらく寺がある。赤岩山と号し、高野山真言宗、本尊は不動明王。開山は下野国小俣おまた(現栃木県足利市)の鶏足寺二九世尊誉で、永徳元年(一三八一)に当寺で大日経疏を談じている(鶏足寺世代血脈)。のち兵火にかかり堂宇はことごとく焼失。慶安元年(一六四八)徳川家光より朱印地一六石八斗余を賜る。その後二度の火災に遭遇し、現在の堂宇は明治五年(一八七二)再建。永禄六年(一五六三)五月二八日の広田直繁判物写(武州文書)によれば「太田庄北方村君之郷之内、養命寺」はもと赤岩光恩寺の末寺であったという。


光恩寺
こうおんじ

[現在地名]豊田市竹元町 南島

鈴木山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。鎌倉末から室町初期にかけて矢並鈴木氏の一統竹村鈴木氏の創建という。「碧海郡誌」によれば「鈴木七郎(義経家臣)重康出家して善阿弥と号し、文治四年開基」と記し、義経伝説と善阿弥を結び付けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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