入沢宗寿(読み)いりさわむねとし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「入沢宗寿」の意味・わかりやすい解説

入沢宗寿
いりさわむねとし
(1885―1945)

教育学者。鳥取県に生まれる。1911年(明治44)東京帝国大学哲学科卒業。神宮皇学館教授を経て、東大教授となる。欧米教育思想史の幅広い研究、とりわけ汎愛(はんあい)派教育思想の研究において著名である。また、欧米の新教育運動を紹介する一方川崎市立田島尋常高等小学校の体験教育を指導したほか新教育協会の設立にも参加した。後年、日本教育思想史を研究。昭和20年5月6日没。主著に『教育思想問題講話』(1926)、『教育史図表』(1924)などがある。

[三原芳一]

『日本教育学会編『教育学研究』第14巻第1号(復刻版・1979・文生書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「入沢宗寿」の解説

入沢 宗寿
イリサワ ソウジュ

昭和期の教育学者 東京大学教授。



生年
明治18(1885)年12月23日

没年
昭和20(1945)年5月6日

出生地
鳥取

学歴〔年〕
東京帝大文科大学哲学科教育学専攻〔明治44年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和4年〕

経歴
神宮皇学館教授から大正8年東大文学部助教授となり、昭和4年ドイツ留学。7年教授となった。西洋近世以降の教育思想史を研究、新教育運動にも関心深く、郷土教育労作教育などを究明、川崎市立田島尋常高等小学校における郷土生活に根ざした体育教育の実験的研究は、田島体験学校といわれて、有名。また国際新教育連盟の日本支部、新教育協会の創設にも尽くした。著書に「近代教育思想史」「新教育の哲学的基礎」「新郷土教育原理」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「入沢宗寿」の意味・わかりやすい解説

入沢宗寿
いりさわそうじゅ

[生]1885. 鳥取
[没]1945. 東京
教育学者。 1911年東京帝国大学文科大学卒業。神宮皇學館教授を経て 1919年東京帝国大学助教授。 1929年ドイツに留学。 1932年東京帝国大学教授に就任し在任中に死去。初め欧米教育思想の歴史的研究にあたり,その成果は汎愛派教育思想史の研究として結実。これがその後の三教一致の思想を中心とする日本教育思想史研究や日本的教育学の構築作業の基盤を提供することになった。また郷土教育労作教育文化教育学など欧米の新教育運動理論と実践を紹介するとともに,みずからも新教育協会を結成し,欧米の運動と連携しながら日本の実践を指導した。川崎市立田島尋常高等小学校の実験はその代表的なものである。著書に『輓近の教育思潮』 (1914) ,『新教育の哲学的基礎』 (1923) ,『汎愛派教育思想の研究』 (1929) ,『日本教育学』 (1939) ,『国民学校概論』 (1943) など多数。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「入沢宗寿」の解説

入沢宗寿 いりさわ-むねとし

1885-1945 大正-昭和時代前期の教育学者。
明治18年12月23日生まれ。神宮皇学館教授をへて昭和7年東京帝大教授。欧米の体験教育を柱とする新教育運動を紹介。川崎市の田島尋常高等小学校での実験的研究は田島体験学校として知られた。昭和20年5月6日死去。61歳。鳥取県出身。東京帝大卒。著作に「汎愛(はんあい)派教育思想の研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「入沢宗寿」の解説

入沢 宗寿 (いりさわ むねとし)

生年月日:1885年12月23日
昭和時代の教育学者。東京帝国大学教授
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android