日本歴史地名大系 「八幡浦」の解説
八幡浦
はちまんうら
琵琶湖に通じる八幡堀に沿う浦で八幡湊とも称された。近世、琵琶湖舟運の主要な湊として大津・堅田とともに俗に三親浦と称された(八幡町史)。八幡堀は船入堀ともよばれ、天正一三年(一五八五)羽柴秀次による八幡城築城の折に同城の堀として
八幡浦
やはたうら
八幡浦
やわたうら
江戸湾に臨んで置かれた湊で、上総諸郡の年貢米の津出湊であるとともに、材木・炭のほか浜方の海産物を扱った。史料上は八幡浦のほか八幡村河岸などとみえる。往古より五大力船の船株があり、上総国諸村から諸御屋敷様方に納める年貢米をはじめ、安房筋の産物や市原・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報