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一水会 いっすいかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

一水会
いっすいかい

1936年 12月に結成された美術団体。当時のメンバーは石井柏亭有島生馬山下新太郎安井曾太郎木下孝則木下義謙小山敬三硲伊之助二科会を脱退した洋画家で,彼らは技術の訓練と安価な様式化の排除とによって,高雅な芸術を尊重することを主張した。毎秋公募展を開き,堅実で中庸をいく写実的作家が多い。

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デジタル大辞泉の解説

いっすい‐かい〔‐クワイ〕【一水会】

美術団体。二科会を脱退した有島生馬安井曽太郎らによって昭和11年(1936)に結成された。穏健な作風を主調とする。

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百科事典マイペディアの解説

一水会【いっすいかい】

洋画団体。1936年,旧二科会会員の有島生馬石井柏亭,木下義謙,木下孝則,小山敬三,硲伊之助,安井曾太郎山下新太郎らにより,〈会場芸術を非とし,技術を重んじ,高雅なる芸術を尊重する〉という趣旨で創立された。
→関連項目光風会

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大辞林 第三版の解説

いっすいかい【一水会】

洋画家・陶芸家の美術団体。石井柏亭・有島生馬・安井曽太郎・山下新太郎・藤川勇造らが二科会を脱会して1936年(昭和11)に結成。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

一水会
いっすいかい

洋画の美術団体。創立の契機は1935年(昭和10)の帝国美術院改組の際、当時二科会の長老であった有島生馬(ありしまいくま)、石井柏亭(はくてい)、安井曽太郎(そうたろう)、山下新太郎らが帝国美術院会員に新任され、在野の美術団体二科会を脱退したことにある。彼らは続いて二科会を去った小山敬三、木下孝則(たかのり)、木下義謙(よしのり)、硲伊之助(はざまいのすけ)らと図り、翌36年12月、「会場芸術を非とし、技術を重んじ、高雅なる芸術を尊重する」という趣旨のもとに一水会を結成した。37年12月に第一回展を開催、その後毎年秋に公募展を開き、堅実な写実的傾向を示す多くの作家を加え、現在日展の有力な支持団体となっている。なお陶芸部が、58年(昭和33)荒川豊蔵(とよぞう)、酒井田柿右衛門(かきえもん)らを迎えて新設されたが、現在は分かれている。[佐伯英里子]

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世界大百科事典内の一水会の言及

【有島生馬】より

…35年帝国美術院会員に任命され,二科会を脱退。翌年安井曾太郎らと一水会を創立。後半生は書道,能楽など日本の伝統文化に精通するとともに,自然観照の多くの風景画を描いた。…

【官展】より

…こうして新文展が発足し,これは43年まで開催されることになる。松田改組とそれにつづく混乱の中から一水会や新制作派協会が生まれ,そして院展の主力画家が官展に加わることになった。しかしすでに戦争の時代にさしかかっており,新文展はめぼしい収穫がほとんどないままに終わっている。…

【安井曾太郎】より

…翌年第2回二科展に《足を洗う女》など滞欧作44点を特別陳列し,若い画家たちに大きな影響を与え,また二科会会員に推された。35年帝国美術院会員,翌年一水会創立に参加,以後一水会の主軸となる。44年には東京美術学校教授となり,帝室技芸員に任命された。…

※「一水会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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