公家領(読み)くげりょう

精選版 日本国語大辞典 「公家領」の意味・読み・例文・類語

くげ‐りょう ‥リャウ【公家領】

〘名〙 中世公家所領をいう。〔日葡辞書(1603‐04)〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「公家領」の意味・わかりやすい解説

公家領 (くげりょう)

公卿,廷臣らの所領の総称。平安中期以降,公家社会の階層分化がしだいに進み,さらに摂関家以下の家格・家職が形成されるにともない,それぞれの所領の形態も多様化した。中世の摂関家(摂家)の所領は,摂関職,氏長者の地位とともに各家の間を伝領される膨大な〈渡領〉と,各家固有の〈家領〉とに分かれるが,その家領も主要部分は,本家として一定の得分を収取する所領と,本所として荘務を進退する所領とから成り,皇室領をはじめ,他家の所領の下級所職を知行することはない。これに対し摂関家に次ぐ上級公家の場合その所領は上皇領,女院領等の領家職あるいは預所職等の知行が重要な要素となっており,中・下級公家では摂関家領その他上級公家領の所職を,奉仕に対する俸禄的な意味で知行するものが,家領の重要な部分を占めている。また内蔵頭(くらのかみ)を家職とした山科家,大炊(おおい)頭を世襲した中原家,主殿(とのも)頭を世襲した壬生(みぶ)家のごとく,家職とした諸司の所領を知行して,公私の経済の資とした公卿,官人も少なくない。また平安後期以降急速に普及した公卿知行国も,公家の経済の重要な支えとなったが,摂関家では一時に2,3ヵ国を知行した例もある。また摂関家以外の公卿は,院宮分国を知行した場合もあり,鎌倉時代に入ると一条家の土佐国,西園寺家の伊予国,中院家の上野国のごとく,知行国の世襲相伝の例が生じ,知行国の所領化をいちだんとすすめた。一方,鎌倉末期以降,荘園制衰退と貨幣経済の発達を反映して,上記の土地生産物収取のほかに,米穀売買課役,酒麴課役,魚棚課役などの名目で,商人らから銭貨を徴収することもしだいに盛んになり,また内蔵寮その他の諸司が関銭を徴する例も増え,それらの一部も公家の重要な所得としてその経済に取りこまれた。
執筆者: 中世における幾段階かの政治・経済的転換のなかで,公家領荘園は漸次崩壊の一途をたどり,ことに応仁の乱後は急激に当知行分は減少していった。織田信長豊臣秀吉は公家や寺社のある程度の経済的安定をはかり,安堵あるいは進献という形で知行を宛行い,これが江戸時代の公家領の基となる。1600年(慶長5)9月関ヶ原の戦に勝利した徳川家康は,早くもその翌10月に公家領等を録上させており,翌年5月,家康は禁裏・女院などの御料を定め,宮家・公家・門跡などに知行を宛行っている。このときの状況を示す《諸知行方》によれば,宮・公家領の総高は3万石弱となっており,宮家では八条宮が3000石,伏見宮が1000石,公家は近衛家の2295石余から50石にまで及び,これが規準となり家領(けりよう)として定着していく。ちなみに江戸中期の宮・公家(106家)の総高は4万6600石となっている。家領の大小は,家格の高下,家々の新古,幕府との密接度によって決定され,領知状における判物・朱印状の区別は,諸大名の場合には一応10万石以上が判物,以下が朱印状であったのに対し,公家の場合は家格・官位によって区別があり,清華・大臣家以上および従一位には判物,それ以下には朱印状をもって発給された。また家領のほか,1634年(寛永11)以降には未家督者に対し〈方領(ほうりよう)〉が支給されたが,これは200石より50石までで一定していない。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「公家領」の意味・わかりやすい解説

公家領【くげりょう】

古代から近世にいたる皇室・摂関家・貴族・官人の所領の総称。律令制の弛緩に伴い,国家による給付に替わって貴族層の経済的基盤として広範に形成された。平安時代中期以降階層分化が進行し,家格・家職が固定化するに従い,形態は多様化したが,一般には殿舎・家地・荘園,御願寺もしくは氏寺とその所領などで構成された。摂関家領は氏長者(うじのちょうじゃ)の地位に付随して伝領される渡領(わたりりょう)と,各家で相伝される家領(けりょう)からなる。家領には本家(ほんけ)職を有するものと,本所(ほんじょ)として荘務を進退するものとの2種類の所領があり,皇室をはじめ他の家の下級所職は含まれなかった。摂関家に次ぐ上級公家領の中心はは皇室領の領家(りょうけ)職などの下級所職が占め,中・下級の公家領の大部分は摂関家をはじめとする上級公家領の下級所職で構成されていた。また諸司が家職として相伝されていくのに従い,諸司の所領がその家の実質的な所領になった。平安時代後期以降増加する公卿知行国・院宮分国(いんぐうぶんこく)のなかには,鎌倉時代以降特定の家に相伝されて公家領化する国もあった。応仁・文明の乱以降,公家領は急速に知行の実体を伴うものが減少。織田・豊臣政権下で安堵・進献のかたちで公家に知行地が与えられて,以後江戸時代を通しての公家領の原形が作られた。1600年10月徳川家康によって公家領等の録上が命じられ,翌1601年には宮家・公家らに総高約3万石近い知行が充行(あておこな)われた。公家各家の家領の高は,家格・家の新古および幕府との関係などによって決定された。領知充行は清華(せいが)・大臣以上と従一位には判物(はんもつ),それより以下には朱印状を発給して行われた。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の公家領の言及

【寛文印知】より

…公家にはすべて,寺社に対しては徳川家2~3代の朱印状所持は全部,1代のみは50石以上に,寺領がなく境内ばかりの朱印状であっても一宗の本寺には朱印状が頒布された。奉行は,大名領は小笠原長矩・永井尚庸,公家領は稲葉正則,寺社領は井上正利・加々爪直澄,符案と訂正は右筆支配久保正之らが行った。発給をうけた大名219通,公家97通,門跡27通,比丘尼27通,院家12通,その他の寺院1076通,神社365通,その他7通,合計1830通に及んだ。…

※「公家領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android