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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…あえて図式的に言えば,家系にふさわしいプロテスタンティズムの,民衆的なコラールと構成的な対位法に代表されるゲルマン精神と,停滞をきらい光彩と明晰を愛する知的なラテン的精神とを総合したことが,その独自性をかたちづくっている。チューリヒとパリの音楽院で学び,1916年ミヨーらとグループ〈新青年〉を結成,これが20年〈六人組〉となって,第1次大戦後の前衛運動の重要な一翼をになう。この運動の中でオネゲルはいわば自己解放を果たしたが,成果として得た複調ほかの現代的な語法によりながら,彼の神であるバッハへの精神的な回帰を,個性の成熟につれてめざした。…
…激しい表出力をもつ三大バレエ音楽を作曲したストラビンスキーは,1920年に,バロック時代の作曲家ペルゴレーシほかの音楽の借用と引用による《プルチネラ》を発表し,27年12月《ザ・ドミナント》誌で,〈古典主義への回帰〉と〈新古典主義の確立〉を明確に主張した。フランスの新しい世代の作曲家のミヨー,オーリックGeorges Auric,オネゲル,プーランクらは,コクトーとサティをリーダーとして〈六人組〉を結成し,ギリシア神話に基づく作品を数多く作曲し,西欧文化の〈古典〉に回帰すると同時に,〈反ドビュッシー〉〈反印象主義〉〈反表現主義〉の創作活動をくりひろげた。またドイツの作曲家たちも,ヒンデミットを代表として,簡潔明瞭な音楽を目ざす〈新即物主義〉〈実用音楽〉などを主張した。…
…当時の若いフランスの作曲家たちにとって,マーラー,シュトラウス,R.ワーグナーといったドイツ作曲家のシンフォニーは度を超した仰々しいものと受け取られ,彼らはシンフォニーを避けて描写風短編やバレエ音楽のかたちで,よりリズミックで淡白なスタイルを目ざしていた。ジャン・コクトーが主唱した前衛芸術運動は,エリック・サティの影響をうけ,〈六人組〉と呼ばれた新鋭作曲家G.オーリック,L.E.デュレー,オネゲル,ミヨー,プーランク,G.タイユフェールの精神的支柱となっていた。当然コクトーのジャズへの心酔は,彼らにも影響を与えずにおかなかった。…
… サティは,ドビュッシーとほぼ同年輩であるが,第1次世界大戦後その単純でむきだしな音楽が,戦前の美意識――ワーグナー,ロマン派,ドビュッシー――への反逆の先鞭をつけた。そしてJ.コクトーを仕掛け人としてオネゲル,ミヨー,プーランクらの〈六人組〉が戦後最初の前衛活動をおこし(1918),次にきたソーゲHenri Sauguet(1901‐89)はR.デゾルミエールらとサティを先達と仰ぐグループ〈アルクーユ楽派〉を結成した。一方,亡命ロシア人ストラビンスキーが,既に大戦前夜《春の祭典》ほかで衝撃的な存在になっていたが,戦後は新古典主義を志向しつつ影響の範囲を広げた。…
※「六人組」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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