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フランスの作曲家。5月17日ノルマンディー地方オンフルールで、海運業の父とスコットランド人の母の間に生まれる。8歳のとき生地の教会オルガニストからピアノを学んだ。1878年パリに出て、79年パリ音楽院に入学、86~87年兵役につくが、除隊後は復学せず、モンマルトルの文学カフェ「黒猫」に出入りし、ピアノを弾いて生計をたてた。当時のピアノ作品『三つのサラバンド』(1887)、『三つのジムノペディ』(1888)には彼の生涯を貫く教会旋法(長短調ではなく)の利用がすでにみられる。小節線を廃したピアノ曲『三つのグノシェンヌ』(1890)もこのころの作品。90~92年、J・ペラダン率いる「カトリック・バラ十字団」の公認作曲家となり、ピアノ曲『バラ十字団の鐘』(1892)などを作曲。91年には「黒猫」から「旅籠屋(はたごや)・釘(くぎ)」の専属ピアニストとなり、ここでドビュッシーと知り合う。98年パリ南部郊外アルクイユに転居、モンマルトルまで毎日歩いて通う貧困な生活を続けるが、いつも山高帽に正装であったことから、ベルベット・ジェントルマンとあだ名される。パントマイムの音楽『びっくり箱』(1899)、人形劇『ジュヌビエーブ・ド・ブラバン』(1899)、四手ピアノのための『梨(なし)の形をした三つの小曲』(1903)などで、カフェ音楽と芸術音楽の障壁を取り払う。1905~08年、スコラ・カントルムに入学し、ルーセル、ダンディに対位法を学んでいる。14年に一幕喜劇『メデューサの罠(わな)』を初演して以降、サイレン、タイプライター、ピストルなどの騒音をコラージュしてスキャンダルとなった17年のバレエ『パラード』(コクトーの台本、ピカソの装置と衣装、ディアギレフのロシア・バレエ団上演)、18年の交響的ドラマ『ソクラテス』、24年のバレエ『メルキュール』(ピカソの装置と衣装、マシーン振付け)、同年のバレエ『本日休演』(ピカビアの台本)とその幕間(まくあい)に上映された映画『幕間』(ルネ・クレール監督)を作曲し、ダダ、シュルレアリスム運動の先鞭(せんべん)をつける。晩年の彼の周囲にはデゾミエールらの若い作曲家が集まったが、25年7月1日、肝硬変と肋膜(ろくまく)炎により、独身のままの生涯を閉じた。
一つのテーマを840回繰り返す『ベクサシオン』Vexations(1893ころ)、環境音楽を先取りする「家具の音楽」musique d'ameublementの思想、譜に書き込まれたことば、非ロマン主義、印象主義的なユニット構造の音楽、風刺と皮肉に富んだ軽妙洒脱(しゃだつ)な文章などにより、近年(ことにジョン・ケージが1948年にサティ擁護の講演を行って以降)再評価の気運が高まっている。
[細川周平]
『中島晴子著『睡れる梨へのフーガ エリック・サティ論』(1977・東京音楽社)』▽『『音楽の手帖 サティ』(1981・青土社)』
フランスの異色の作曲家。パリ音楽院を中退して,生活のために世紀末のパリの芸術家のたまり場となった酒場〈黒猫〉などのピアニストとして働きながら,中世的な神秘主義の世界をうかがわせるピアノ曲《三つのジムノペディ 3gymnopédies》(1888),《三つのグノシェンヌ》(1890。のち3曲が発見され1968年に出版)などを作曲。また一時,文学者ペラダンが主宰した神秘主義的秘密結社〈カトリック薔薇十字団〉に入り,公認作曲家となり,同団の音楽や,ペラダンの戯曲《星たちの息子》の音楽(1892)を作曲する。このような音楽はドビュッシー,ラベルにも影響を与えた。〈もっとフォルムの感覚をもつべきだ〉というドビュッシーの忠告にこたえて,ピアノ連弾曲《梨の形をした三つの小品》(1903)を作曲。鋭い批評精神とユーモアのセンスをもっていたサティは,その後,奇妙な曲名の作品を数多く生みだした。ピアノ曲《馬の装具で》(1911),《(犬のための)ぶよぶよした真の前奏曲》《不愉快な概要》(ともに1912),《乾からびた胎児》(1913),《官僚的なソナチネ》(1917)などといった曲名である。自分で台本を書き,作曲したナンセンスな音楽劇《メデューサの罠》(1913)は,ダダ(ダダイスム)以前のダダの作品として,今日高く評価されている。コクトーの台本,ピカソの舞台美術によるバレエ《パラードParade》(1917)の音楽には,タイプライター,汽笛,ピストルその他の騒音を加えて,スキャンダルとなる。1920年以後は,ピカビア,デュシャンらのパリのダダ運動に参加。24年にはピカビアの台本によるバレエ《本日休演Relâche》を作曲したが,これが最後の作品となった。晩年,サティは座りごこちのよい椅子のように人にくつろぎと安らぎを与える〈家具の音楽〉という思想を打ちだした。これはバックグラウンド・ミュージックの先駆ともみられるが,むしろ第2次世界大戦後のケージの環境の芸術化の思想と結びつく注目すべき音楽観である。
執筆者:秋山 邦晴
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…フランスの作曲家E.サティの初期のピアノ連弾のための作品で,1903年に作曲された。独特な神秘思想をもっていたサティは,小節線を取りはずした自由な形式のピアノ曲などを作曲していたが,あるときドビュッシーに形式について配慮するように忠告され,その忠告に対する回答としてこの作品を完成した。…
…このほかデュカース,F.シュミット,C.ケクラン,A.カプレの名をあげておこう。 サティは,ドビュッシーとほぼ同年輩であるが,第1次世界大戦後その単純でむきだしな音楽が,戦前の美意識――ワーグナー,ロマン派,ドビュッシー――への反逆の先鞭をつけた。そしてJ.コクトーを仕掛け人としてオネゲル,ミヨー,プーランクらの〈六人組〉が戦後最初の前衛活動をおこし(1918),次にきたソーゲHenri Sauguet(1901‐89)はR.デゾルミエールらとサティを先達と仰ぐグループ〈アルクーユ楽派〉を結成した。…
※「サティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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