六角氏式目(読み)ロッカクシシキモク

デジタル大辞泉 「六角氏式目」の意味・読み・例文・類語

ろっかくし‐しきもく〔ロクカクシ‐〕【六角氏式目】

戦国時代六角氏分国法。67条。永禄10年(1567)成立重臣が起草したものを、六角義治と父義賢が承認する形をとり、農民支配や民事関係の規定に詳しい。義治式目

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精選版 日本国語大辞典 「六角氏式目」の意味・読み・例文・類語

ろっかくし‐しきもくロクカク‥【六角氏式目】

  1. 〘 名詞 〙 戦国時代の六角氏の分国法。六七条。永祿一〇年(一五六七)成立。重臣が起草したものを、六角義治と父義賢が承認する形をとり、農民支配や民事関係の規定に詳しい。義治式目。

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改訂新版 世界大百科事典 「六角氏式目」の意味・わかりやすい解説

六角氏式目 (ろっかくししきもく)

近江国南半を領した大名六角氏が1567年(永禄10)4月に制定した67ヵ条よりなる分国法。〈義治(よしはる)式目〉とも呼ばれるが,原題は〈置目〉であり,諸伝本には六角義治の署判のものだけでなく,義治とその父六角承禎じようてい)(六角義賢)の連署のものがあり,当時の実情からいって後者が原形を正しく伝えているので,この名称はふさわしくない。この分国法は1563年の観音寺騒動という内乱,つづいて66年の浅井長政との戦いにおける惨敗という六角氏危急存亡のときに,領国の支配体制再建を目的として制定された。

 この法典は六角氏の年寄(宿老)と若衆の一部を含む20人の重臣により起草され,六角氏がこれを承認するという手続を経て制定され,発効においては,この法の遵守を誓う起請文を六角氏と重臣との間でとりかわすという特異な手続をとっている。この手続形式は,この法が家臣のみならず主君六角氏をも規制することを意味し,この形式に応じて,その内容も公正な裁判を行うことを求めたものなど,六角氏の恣意の施政制約する条文が半数以上を占めている。一方,重臣たちがみずから主唱者として立法し,大名に遵守を誓い,法によってみずからを規制しようとした目的は,領主相互間における利害対立を捨てた領主間の協調という家臣の一揆契約の締結であった。この一揆的領主間協約の締結と大名の恣意的施政の制約という二つの特徴が,強力な惣村の連合体の出現によって危機にひんした状況のもとで,領主権益の擁護という方向で結び合わさって成立しているところに,この法典の最大の特徴がある。内容は,社寺法で始まり,売買法,年貢収納法,刑事法,家族法,訴訟手続法,債権法など多岐にわたるが,最大の特色は,14条から24条に規定されている11ヵ条におよぶ年貢収納などの所務法で,これらの条項が領主権の動揺のもとで,その権益を保持するという,この法典の制定目的を端的に示しているといえる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六角氏式目」の意味・わかりやすい解説

六角氏式目
ろっかくししきもく

戦国大名六角氏が1567年(永禄10)4月に制定した家法、分国法。義治(よしはる)式目ともいう。全67条。ほかに起請文(きしょうもん)8条および6条の追加がある。起請文は三上恒安(みかみつねやす)以下20人の六角氏重臣が署判する5条とそれに対応する六角承禎(じょうてい)(義賢(よしかた))、義治(よしはる)(義弼(よしすけ))が署判した3条よりなるが、ここに式目が重臣により起草され、六角氏が承認したという制定手続および相互遵守の誓約が明示されている。また条文も所領相論、刑事犯罪、債務関係など多岐にわたるが、訴訟手続や年貢収納など農民支配に特色があり、内容も六角氏の権限や恣意(しい)的行為を制約するものが半数を超えている。それゆえ、この式目は領主権益の擁護を目的として、領主相互の協約と六角氏の権限の制約という二つの特質をもつといわれる。式目制定の背景には重臣を暗殺した観音寺(かんのんじ)騒動(1563)による家臣の離反や浅井氏との合戦があるが、近江(おうみ)の先進的社会状況が強く反映している。

[宮島敬一]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「六角氏式目」の解説

六角氏式目
ろっかくししきもく

義治(よしはる)式目とも。近江国南部を領した戦国大名六角氏が1567年(永禄10)4月に定めた家法。67カ条の法度(はっと)と,三上恒安以下20人の六角氏重臣が連署して六角氏奉行人にあてた5カ条の起請文(きしょうもん),六角義賢(よしかた)・同義治が家臣にあてた8カ条の起請文,そして6カ条の追加法度からなる。体裁は三上氏以下の六角氏重臣によって起草され,六角氏が承認を与え,大名当主と家臣の間で起請文を交換して制定されたかたちをとる。それに対応して内容も,六角氏の恣意的な施政を制約する規定が過半を占め,領主層を結集して百姓支配にあたる目的で,戦国大名六角氏と配下の領主層の間に締結された協約という性格が強い。「日本思想大系」所収。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六角氏式目」の意味・わかりやすい解説

六角氏式目
ろっかくししきもく

『義治式目』ともいう。近江南半の戦国大名六角氏 (佐々木氏) の分国法。義賢,義治 (義弼) 父子の制定。永禄 10 (1567) 年成立。 67ヵ条。有力な被官と大名との間に順守すべき事項を起請するという形式をとっている。

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世界大百科事典(旧版)内の六角氏式目の言及

【馬淵氏】より

…その活動は軍事的な行動が中心であった。六角氏が織田信長に滅ぼされる直前の1567年(永禄10)に制定された《六角氏式目》には,20人の重臣たちの連署による起請文があるが,その中に山城入道宗綱と兵部少輔建綱の名前が見え,馬淵氏が最後まで六角氏と運命をともにしたことがうかがえる。【細溝 典彦】。…

※「六角氏式目」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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