精選版 日本国語大辞典 「兼常清佐」の意味・読み・例文・類語 かねつね‐きよすけ【兼常清佐】 音楽評論家。文学博士。山口県出身。京都帝国大学卒。ベルリン大学で音楽理論を学び、日本音楽と日本語を音響学的方法で研究。著「日本の音楽」「日本の言葉及び唄の構造」など。明治一八~昭和三二年(一八八五‐一九五七) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「兼常清佐」の解説 兼常 清佐カネツネ キヨスケ 大正・昭和期の音楽学者,音楽評論家 生年明治18(1885)年11月22日 没年昭和32(1957)年4月25日 出生地山口県萩市 学歴〔年〕京都帝大文科大学哲学科〔明治42年〕卒 学位〔年〕文学博士 経歴大正3年上京し東大実験心理学研究室で音楽美学、音響心理学などを研究し、11年から13年にかけてドイツ留学。また民謡などを蒐集し、昭和7年音および音楽に関する研究所を創立する。その他、日本語の音の構造分析、ピアノの構造研究などに業績を残した。“ピアニスト不要論”など特異な評論活動でも著名、「音楽巡礼」「ベートーヴェンの死」「日本の言葉と唄の構造」などのほか、「石川啄木」「与謝野晶子」の評論がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「兼常清佐」の意味・わかりやすい解説 兼常清佐かねつねきよすけ(1885―1957) 音楽学者。山口県萩(はぎ)市生まれ。1910年(明治43)京都帝国大学文学部卒業。平家琵琶(へいけびわ)、地歌三味線などの理論研究で学位を取得。15年(大正4)東京音楽学校ピアノ科入学。22年渡独、帰国後、大原労働研究所で音響学を研究。評論、随筆の面でも活躍し、『ピアニスト不要論』など逆説的論議で楽壇をにぎわした。主著に『日本の音楽』(1913)、『日本音楽教育史』(1932)、『日本音楽と西洋音楽』(1941)などがある。[柴田典子] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兼常清佐」の解説 兼常清佐 かねつね-きよすけ 1885-1957 大正-昭和時代の音楽学者,音楽評論家。明治18年11月22日生まれ。京都帝大を卒業したのち,東京音楽学校(現東京芸大)ピアノ科に入学。ドイツに留学後,音響学を研究。またピアニスト無用論などの評論活動で知られた。昭和32年4月25日死去。71歳。山口県出身。著作に「日本の音楽」「日本の言葉と唄の構造」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「兼常清佐」の解説 兼常 清佐 (かねつね きよすけ) 生年月日:1885年11月22日大正時代;昭和時代の音楽学者;音楽評論家1957年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by