内村直也(読み)うちむらなおや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内村直也」の意味・わかりやすい解説

内村直也
うちむらなおや
(1909―1989)

劇作家。東京生まれ。本名菅原実(すがわらみのる)。慶応義塾大学経済学部卒業。学生時代に岸田国士(くにお)門下となり、1935年(昭和10)に処女作『秋水嶺(しゅうすいれい)』を築地座(つきじざ)で初演。第二次世界大戦後は『雑木林』、『遠い凱歌(がいか)』、『沖縄』などを発表。また放送劇の分野も開拓し、NHK連続ラジオドラマ『えり子とともに』(1949~1952)は大ヒットした。翻案劇に『夜の来訪者』、また『ドラマトゥルギイ研究』の著書もある。演出家菅原卓(たかし)(1903―1970)は実兄

[石澤秀二]

『『ドラマトゥルギイ研究』(1956・白水社)』『『内村直也戯曲集』(1966・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「内村直也」の意味・わかりやすい解説

内村直也
うちむらなおや

[生]1909.8.15. 東京
[没]1989.7.27. 東京
劇作家,放送作家。本名菅原実。 1932年慶應義塾大学経済学部卒業。在学中から岸田国士に師事し,兄らと創刊した『劇作』に処女作『秋水嶺』 (1935) を発表。第2次世界大戦後,俳優座などに『雑木林』 (48) ,『沖縄』 (60) などの戯曲を提供する一方,放送の分野にも進出。 49年から2年7ヵ月にわたって放送された『えり子とともに』は,みずから作詞した劇中歌『雪の降る街を』とともに大ヒットした。ミュージカルや創作文楽にも挑戦する一方,放送作家協会初代理事長,国際演劇協会日本センター会長などを歴任。著書に『ドラマトゥルギー研究』『女優・田村秋子』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内村直也」の解説

内村直也 うちむら-なおや

1909-1989 昭和時代の劇作家。
明治42年8月15日生まれ。菅原卓(たかし)の弟。岸田国士(くにお)に師事し,昭和10年「秋水嶺」を発表。戦後,NHKラジオドラマ「えり子とともに」が,作詞した劇中歌「雪の降る街を」ともども大ヒットした。戯曲に「遠い凱歌(がいか)」「沖縄」,著作に「ドラマトゥルギイ研究」など。平成元年7月27日死去。79歳。東京出身。慶大卒。本名は菅原実。
格言など】幸福というものは,いつも温(あたたか)いものなんだよ。そして希望に充ち充ちているんだ(「秋水嶺」)

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世界大百科事典(旧版)内の内村直也の言及

【新劇】より

…そして1930年代になると,岸田,久保田を師とする若手劇作家群が劇作専門の雑誌《劇作》に拠って続々と登場し,この《劇作》派の戯曲が築地座で次々と初演された。川口一郎(1900‐71),田中千禾夫(ちかお)(1905‐95),小山祐士(ゆうし)(1906‐82),内村直也(1909‐89),森本薫ら,市民生活の哀歓を心理的せりふの躍動で描く劇作家たちの出現である。また同じころ(1931‐36),金杉惇郎・長岡輝子夫妻の主宰する〈テアトル・コメディ〉もフランス近代心理劇を上演し,飯沢匡(1909‐94)らの劇作家を生みだした。…

※「内村直也」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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