田村秋子(読み)タムラアキコ

デジタル大辞泉 「田村秋子」の意味・読み・例文・類語

たむら‐あきこ【田村秋子】

[1905~1983]新劇女優。東京の生まれ。本姓、伴田。夫の友田恭助築地座を結成、戦後は文学座に出演した。主演作に「ヘッダ=ガブラー」「ママの貯金」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「田村秋子」の解説

田村 秋子
タムラ アキコ


職業
女優

本名
伴田 秋子(トモダ アキコ)

旧名・旧姓
田村

生年月日
明治38年 10月8日

出生地
東京市 下谷区西町(東京都 台東区)

学歴
神田高女〔大正12年〕卒

経歴
父は劇作家の田村西男で、2人姉弟の長女。大正12年「大尉の娘」に出演して初舞台を踏み、13年築地小劇場の研究生となる。14年俳優・友田恭助と結婚。昭和4年小山内の死による築地小劇場分裂を前に夫と脱退し、5年劇団新東京、7年築地座を旗揚げ。田中千禾夫作の「おふくろ」、岩田豊雄(獅子文六)演出の「にんじん」などで名女優としての評価を高めた。11年岸田国士の勧めで夫は築地座を解散、12年岸田、岩田久保田万太郎の3人を中心として文学座が発足したが、直後に徴兵された夫が戦死。以後、演劇の第一線を退き遺児養育に専念。太平洋戦争末期の19年、長野県内山村に疎開して敗戦を迎えた。22年上京、生計を立てるために再び女優に復帰し、映画に出演。24年自作自演の舞台「姫岩」で13年ぶりに舞台出演し、舞台「ママの貯金」で芸術祭文部大臣賞を受賞。文学座名誉座員に迎えられたが、29年「牛山ホテル」を最後に舞台を引退、文学座名誉座員も辞した。映画では渋谷実監督「自由学校」、木下恵介監督「少年期」の演技で毎日映画コンクール助演女優賞を受けた。32年木下監督「風前灯火」を最後に映画からも引退。晩年は劇作家・演出家の川口一郎と同棲した。主な出演作に、舞台「冬」「二十六番館」「三人姉妹」「大寺学校」「ルリュウ爺さんの遺言」、映画「女の一生」「えり子とともに」「本日休診」「うちにおばあちゃん」などがある。

受賞
芸術祭文部大臣賞〔昭和24年〕「ママの貯金」,毎日演劇賞(第3回)〔昭和25年〕「ヘッダ・ガブラー」 毎日映画コンクール助演女優賞(昭26年度)「自由学校」「少年期」

没年月日
昭和58年 2月3日 (1983年)

家族
夫=友田 恭助(俳優),父=田村 西男(劇作家)

伝記
白洲正子全集〈第3巻〉心に残る人々裁かれる大正の女たち―「風俗潰乱」という名の弾圧あの人この人―昭和人物誌泣きどころ人物誌 白洲 正子 著白洲 正子 著清永 孝 著戸板 康二 著戸板 康二 著(発行元 新潮社講談社中央公論社文芸春秋文芸春秋 ’01’96’94’93’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「田村秋子」の解説

田村 秋子
タムラ アキコ

昭和期の女優



生年
明治38(1905)年10月8日

没年
昭和58(1983)年2月3日

出生地
東京市下谷区上野(現・東京都台東区)

本名
伴田 秋子(トモダ アキコ)

旧姓(旧名)
田村

学歴〔年〕
神田高女〔大正12年〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭文部大臣賞〔昭和24年〕「ママの貯金」,毎日演劇賞〔昭和25年〕「ヘッダ・ガブラー」,毎日映画コンクール助演女優賞(昭26年度)「自由学校」「少年期」

経歴
大正12年に初舞台ののち築地小劇場や、夫の俳優・友田恭助とともに創立した築地座などで活躍。とくに田中千禾夫作「おふくろ」、岩田豊雄演出「にんじん」で名女優の評価を高める。昭和12年には岩田豊雄、久保田万太郎、岸田國士らのすすめで文学座を創立したが、旗上げ公演直前に友田が戦死したため、第一線から退いた。戦後は名誉会員として文学座に迎えられ、24年に「ママの貯金」で芸術祭文部大臣賞を受賞、29年「牛山ホテル」を最後に引退。この間、映画にも多数出演、「少年期」などの名演技を残している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田村秋子」の意味・わかりやすい解説

田村秋子
たむらあきこ

[生]1905.10.8. 東京
[没]1983.2.3. 千葉
女優。本名伴田 (ともだ) 秋子。作家田村西男の娘。 1924年築地小劇場の第1回研究生として入所,その創立公演『休みの日』に出演。同年8月『思い出』で友田恭助と共演,翌春結婚。 29年,友田とともに築地小劇場を脱退,青山杉作らの劇団新東京に参加。解散後 32年2月友田とともに築地座を創立。 36年の解散まで充実した活動を続け,『おふくろ』『にんじん』で名舞台を残した。 37年,夫妻を中心に文学座が創立されたが,友田の戦死で一時引退。その間に戯曲『雪ごもり』『姫岩』を執筆。その後文学座の名誉座員となり,49年『姫岩』出演で再起,50年『ヘッダ・ガーブラー』を好演。第2次世界大戦後は映画にも多く出演。杉村春子の師にあたる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田村秋子」の意味・わかりやすい解説

田村秋子
たむらあきこ
(1905―1983)

新劇女優。本名伴田(ともだ)秋子。東京生まれ。神田高等女学校卒業。父の作家田村西男の影響で1923年(大正12)素人(しろうと)演劇の舞台に立ち、翌年築地(つきじ)小劇場の研究生として劇団創立に参加。29年(昭和4)解散後劇団新東京結成を経て、32年夫の俳優友田恭助(きょうすけ)と築地座を創立。『おふくろ』『二十六番館』などの創作劇や翻案劇『にんじん』に出演、女優としての全盛期を築く。36年解散後文学座の結成に加わるが、夫の戦死で舞台を退く。第二次世界大戦後は客演として文学座の舞台に立つが54年(昭和29)に引退。映画出演も多い。また『姫岩』(1943)など3本の戯曲も執筆した。

[大笹吉雄]

『田村秋子・小山祐士著『一人の女優が歩んだ道』(1952・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村秋子」の解説

田村秋子 たむら-あきこ

1905-1983 昭和時代の舞台女優。
明治38年10月8日生まれ。大正13年築地(つきじ)小劇場第1期研究生となる。昭和7年夫の友田恭助と築地座を結成,「おふくろ」「にんじん」などで好演。戦後は一時映画に出演。24年自作の戯曲「姫岩」で舞台に復帰,「ママの貯金」「ヘッダ・ガブラー」などで主演。昭和58年2月3日死去。77歳。東京出身。神田高女卒。本名は伴田秋子。
【格言など】一ツ所を堂々めぐりしていたって,どうにもならない(「姫岩」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田村秋子」の解説

田村 秋子 (たむら あきこ)

生年月日:1905年10月8日
昭和時代の女優
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田村秋子の言及

【新劇】より

… 築地小劇場が小山内の急死によって分裂,解散(1929)した後,以降,右傾化する国家権力により後述の新協,新築地両劇団が強制的に解散させられる(1940)までの期間は,それまでの数多くの欧米近代劇上演によって刺激され,また培われてきた日本近代戯曲の,いわば真の開花期であり,また心理主義的なフランス近代戯曲の翻訳上演期でもあった。 いまだ翻訳劇優先であった築地小劇場を脱退した友田恭助・田村秋子夫妻は,1932年2月〈築地座〉を結成した。その上演55演目中,16演目がフランス近代心理劇を主体にする西欧近代戯曲で,39演目が日本の創作戯曲だった。…

【友田恭助】より

…中学生時代から芝居好きで,早大学生時代に〈新劇協会〉の畑中蓼坡(りようは)に師事して同劇団の公演《ワーニャ伯父さん》に出演,水谷八重子らとの〈わかもの座〉(1920結成)を経て,1924年築地小劇場創立同人となった。25年女優田村秋子と結婚。築地小劇場解散後は夫人とともに32年〈築地座〉を結成し,日本の近代創作劇上演運動を展開,小山祐士(ゆうし)ら多くの劇作家に創作の機会を与えた。…

※「田村秋子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android