円宗寺(読み)えんしゅうじ

精選版 日本国語大辞典 「円宗寺」の意味・読み・例文・類語

えんしゅう‐じ ヱンシュウ‥【円宗寺】

京都市右京区、仁和寺の西南方にあった天台宗の寺。延久二年(一〇七〇)後三条天皇の勅で建立。初め円明寺といった。四円寺一つ天台宗の北京三会(さんえ)うち最勝会法華会勅会(ちょくえ)を修したことで知られる。

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日本歴史地名大系 「円宗寺」の解説

円宗寺
えんしゆうじ

[現在地名]壬生町上稲葉

おもい川左岸、古屋敷ふるやしきにある天台宗寺院。慶玉山普賢院円宗寺と号し、本尊阿弥陀如来。「壬生領史略」によれば上野寛永寺末で、嘉祥年中(八四八―八五一)慈覚大師が日光山に初登山した時に創建したと伝える。元和五年(一六一九)現在地に移転したという(旧県史)。当寺は日光輪王寺宮の冬季避寒の座所にあてられていた(栃木県教育史)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「円宗寺」の意味・わかりやすい解説

円宗寺
えんしゅうじ

京都市右京区にあった廃寺。1070年(延久2)後三条(ごさんじょう)天皇により建立され、初め円明寺(えんみょうじ)と称したが、翌年円宗寺と改めた。法勝寺(ほっしょうじ)大乗会(だいじょうえ)とあわせて天台の三会といわれた法華会(ほっけえ)、最勝会(さいしょうえ)が行われ、円教寺円乗寺円融寺とともに四円寺(しえんじ)とよばれて栄えた。

[若林隆光]

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世界大百科事典(旧版)内の円宗寺の言及

【最勝会】より

…1445年(文安2)6月の薬師寺諸堂の大風による倒壊で,以後中絶するにいたった。一方,平安京円宗寺においても1082年(永保2)2月に最勝会が開始され,当寺の法華会と法勝寺の大乗会とともに北京三会と称して,南都三会に準じ,延暦,園城両寺で隔年勤修したが,鎌倉時代末に至り円宗寺の廃寺とともに廃絶した。《最勝王経》の盛行はすでに奈良時代からみられるが,最勝会のほか最勝講と称して,国家の安泰,天皇の長寿を祈願する法会が,1002年(長保4)から毎年5月の吉日を選んで5日間,宮中で釈迦を本尊とし毘沙門天,吉祥天を脇侍として,東大,興福,延暦,園城の4寺の学僧を招いて行われ,恒例化した。…

【四円寺】より

…いずれも仁和寺(にんなじ)の子院で,天皇の後院(ごいん)として営まれた。仁和寺に深く帰依した円融天皇が983年(永観1)に御願寺とした円融寺をはじめとして,998年(長徳4)一条天皇御願の円教寺,後朱雀天皇の御願で,後冷泉天皇により1055年(天喜3)に完成した円乗寺,70年(延久2)後三条天皇御願の円宗寺(初め円明寺と称す)である。円宗寺では,国家の仏事として法華会,最勝会が行われ,のち法勝寺大乗会とともに北京三会(ほつきようさんえ)とよばれた。…

【法華会】より

…日本では606年(推古14)聖徳太子が岡本宮で講じたのを初例とし,746年(天平18)東大寺羂索院で聖武天皇・同皇后のため良弁(ろうべん)らが催してより勅会となり,毎年3月16日を恒例の日とした。興福寺では817年(弘仁8)藤原冬嗣が父内麻呂追善のため南円堂ではじめて修し,後三条天皇の御願寺である円宗寺では1072年(延久4)に始まり,勅会のなかでも規模が大きく荘厳華麗を極めた。延暦寺では967年(康保4)天台座主良源が広学竪義(りゆうぎ)(竪義)と称する法華会を始め,法華大会(だいえ),叡山霜月会の名でも知られ,1216年(建保4)より勅会となった。…

※「円宗寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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