円教寺(読み)エンギョウジ

デジタル大辞泉 「円教寺」の意味・読み・例文・類語

えんぎょう‐じ〔ヱンゲウ‐〕【円教寺】

兵庫県姫路市にある天台宗の寺。山号は書写山。康保3年(966)、性空しょうくうが開山、開基は花山天皇。盛時は天台三大道場の一。西国三十三所の第27番札所。書写寺。

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精選版 日本国語大辞典 「円教寺」の意味・読み・例文・類語

えんきょう‐じ ヱンケウ‥【円教寺】

[一] 兵庫県姫路市にある天台宗の寺。山号は書写山。康保三年(九六六)性空の開山。花山天皇の勅願所。西国三十三所の第二七番の札所。えんぎょうじ。書写寺。
[二] 京都市右京区花園円成寺町・谷口円成寺町付近にあった天台宗の寺。長徳四年(九九八一条天皇の建立。四円寺(しえんじ)の一つ。

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日本歴史地名大系 「円教寺」の解説

円教寺
えんぎようじ

[現在地名]姫路市書写

書写山(三七一メートル)の山上と南東山腹に諸堂がある天台宗寺院。書写山と号し、本尊は如意輪観音。西国三十三所観音霊場の第二七番札所で、御詠歌は「はるばると登れば書写の山おろし松のひびきもみ法なるらん」。播磨天台六ヵ寺の一。境内は国指定史跡。書写山は東麓を流れる夢前ゆめさき川を利用することによって瀬戸内海との交通路が開けていた。平安時代から円融上皇をはじめとする著名人の参詣があり、諸堂建立の際の木材や材料などの運送にも海路飾万しかま津から夢前川の舟運が利用されていたと考えられる。南麓の坂本さかもと(坂元、東坂本・西坂本)は山上伽藍と多数の衆徒の生活を支える門前集落であった。

〔創建と伽藍の整備〕

正安二年(一三〇〇)撰の性空上人伝記遺続集(円教寺蔵)などによれば、性空が日向国霧島きりしま山や筑前国脊振せふり山などで修行したのち、康保三年(九六六)の上洛の途次に書写山に入り草庵を結んだのに始まる。法華持経者の性空を慕って多くの仏弟子が参集。天禄元年(九七〇)には如意輪堂(当寺の本堂とされる摩尼殿)を造立、性空の弟子安鎮が生木の桜木で刻した如意輪観音像を本尊とした。寛和元年(九八五)には播磨国司藤原季孝が性空に帰依して法花堂(法華堂)を建立したという。同年円融上皇が性空の験者としての名声を聞き、彼を召したが応じなかったという(「今昔物語集」巻一二、「百錬抄」同年九月一日条)。翌二年七月、花山法皇が書写山に行幸し、米一〇〇石を施入。性空はこの一〇〇石を作料として講堂造立を発願、寺号を円教寺と名付け、御願寺としたいと願出た。永延元年(九八七)には比叡山延暦寺の僧実因らを請じて講堂供養が行われた。長保四年(一〇〇二)三月、花山法皇が再度行幸している(以上、前掲遺続集など)。性空に対する貴族層の尊崇も厚く、和泉式部は結縁のために性空に「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥に照せ山のはの月」と詠んだ歌を送っている(拾遺集・和泉式部集)。寛弘二年(一〇〇五)五月四日には左大臣藤原道長が性空の勧めを受け、自邸で僧三〇口をもって千部仁王経供養を行っている(小右記)

諸権門の帰依を受け、性空在世中に如意輪堂・法華堂・講堂・薬師堂のほか、常行堂(性空の建立、三間四面、本尊は阿弥陀如来)・多宝塔(治部少丞安部有重が半ばまで造り、のち当寺大日院日照が完成させた。五智如来を安置)・真言堂(元国司館の持禅師慶雲が五人の檀越の勧進を受け建立、一間四面)・往生院・大経所・経蔵、鐘楼(寛和三年三月一八日の年紀をもつ鐘銘がある)・湯屋・山王院宝殿(十二所神を勧請)などの伽藍が整ったという(前掲遺続集、「播磨国飾磨郡円教寺縁起等事」円教寺蔵など)

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改訂新版 世界大百科事典 「円教寺」の意味・わかりやすい解説

円教寺 (えんきょうじ)

兵庫県姫路市の書写山にある天台宗の寺。山号は書写山。西国三十三所27番札所。開山の性空(しようくう)は,多年九州の霧島山,背振(せふり)山にこもって修行した法華持経者で,966年(康保3)当山に移って庵居した。985年(寛和1)播磨介藤原季孝が帰依して法華三昧堂を建立し,調直僧12口をおき加徴知識米(かちようちしきまい)300石を寄進してからにわかに活況を呈し,花山法皇は986年7月と1002年(長保4)3月の2度にわたって御幸,987年(永延1)院の御願寺となり,さらに僧8口をおき,講堂が建立された。かくして書写山は性空聖(ひじり)の名とともに著名になり,藤原実資(さねすけ)・同公任(きんとう)などの公卿,恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)や寂心(慶滋保胤(よししげのやすたね))なども結縁のため来山,播磨きっての名刹となり,諸堂充満して西の比叡山と称された。1174年(承安4)4月には後白河法皇が御幸,7日間参籠した。このとき一和尚行事(いちのわじようぎようじ)を長吏(ちようり)と改称。この間,985年に霜月会十講が,988年に六月会三十講が始まり,性空忌日に三月会五時講が,引声念仏は1074年(承保1)8月に始まり,また1168年(仁安3)に始まった一切経会は後白河法皇の御願で平清盛が1000余巻を施入して始まったという。鎌倉時代には将軍家祈禱所となり,34世長吏俊源は,講堂,五重塔,食堂(じきどう)を建立または改造して大興隆期を迎えた。一遍が遊行のさい当寺に参詣した1287年(弘安10)は46世長吏朝豪の時代で第2の興隆期に当たる。1333年(元弘3)5月,後醍醐天皇は隠岐から還幸の途次行幸して安室郷(やすむろごう)を寄進し,1248年(宝治2)に後嵯峨院が寄進した余部荘(よべのしよう)地頭職を安堵した。ついで足利尊氏も丹後志楽荘を寄進し,近世には寺領830余石。

 山上伽藍は何回か落雷による出火または失火で焼失し,現存の大講堂,食堂,常行堂,護法堂,鐘楼,金剛堂と塔頭(たつちゆう)寿量院は室町~戦国期の建造(いずれも重文)だが,大講堂本尊の釈迦三尊像と昭和再建の摩尼殿(如意輪堂)安置の四天王像は創建当時の藤原時代の作で重文。境内全域が史跡に指定されている。毎年7月9日の四万六千日には参詣者が群参する。
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百科事典マイペディア 「円教寺」の意味・わかりやすい解説

円教寺【えんきょうじ】

兵庫県姫路市北部の書写山(363m)頂にある天台宗の寺。本尊如意輪観音。山号は書写山。9世紀末,性空(しょうくう)の創建という。西国三十三所27番目の札所で,境内(史跡)に古制を残した大伽藍(がらん)がある。盛時には比叡山大山寺と並び天台の三大道場であった。大講堂,常行堂,鐘楼,四天王像などの重要文化財がある。山麓からロープウェーが通じる。
→関連項目飾磨津姫路[市]

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デジタル大辞泉プラス 「円教寺」の解説

円教(えんぎょう)寺

兵庫県姫路市にある寺院。天台宗別格本山。山号は書写山。966年開創。境内は国指定史跡。摩尼殿、講堂などは国の重要文化財。西国三十三所第27番札所。

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事典・日本の観光資源 「円教寺」の解説

円教寺

(兵庫県姫路市)
天台宗三大道場」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の円教寺の言及

【性空】より

…平安中期の僧。播磨国書写山(しよしやざん)円教寺(現,姫路市)の開山,書写上人の名で知られる。橘善根の子。…

※「円教寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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