円融寺(読み)えんゆうじ

精選版 日本国語大辞典 「円融寺」の意味・読み・例文・類語

えんゆう‐じヱンユウ‥【円融寺】

  1. 京都市右京区の龍安寺付近にあった天台宗の寺。永観元年(九八三円融天皇建立四円寺一つ。えんにゅうじ。円融院

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日本歴史地名大系 「円融寺」の解説

円融寺
えんゆうじ

[現在地名]目黒区碑文谷一丁目

目黒通の南方に位置する天台宗寺院。経王山文殊もんじゆ院と号し、本尊釈迦如来。仁寿三年(八五三)天台座主第三世円仁開創と伝え、当時は宝善院法服ほうふく寺と号したという。しかし開創年代を嘉祥元年(八四八)とするものもある(「過去帳」碑文谷村々誌)。弘安六年(一二八三)日蓮の高弟日源により日蓮宗に改宗、寺号も妙光山吉祥院法華ほつけ寺と改めたとされる(境内にある日源上人法塔銘文)。日源はもと智海という駿河国実相じつそう(現静岡県富士市)学頭の天台僧であったが、建治二年(一二七六)以前に日蓮に帰伏し、中老僧の一人として活躍した。のちに法華寺の住持となる日運が応永三二年(一四二五)に記した「門徒古事」などによれば、法華寺の世代は日源・日善・日行・日明と続き、日運は京都妙満みようまん(現京都市左京区)四世で品川本光ほんこう寺三世でもある。


円融寺
えんにゆうじ

[現在地名]長岡市村松町

村松むらまつ(太田川)右岸、村松城跡のある要害ようがい山の下にある。真言宗智山派、医王山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によると、天平年中(七二九―七四九)行基が岩屋谷いわやだにに開創し、天竺の僧仏哲より伝来の毘須羯摩作の阿弥陀仏を安置し、かつその時霊告により大石の下から一寸八分の自然石の薬師像を得、さらに一像を彫ってその胸部に込めて安置したと伝える。


円融寺
えんゆうじ

[現在地名]山越郡八雲町山越

山越やまこしの市街地にある浄土宗寺院。山号一行山、本尊阿弥陀如来。文政五年(一八二二)有珠うす山噴火の折、善光ぜんこう(現伊達市)三世弁瑞が難を逃れて当地に本尊を移し、阿弥陀堂を造立したのに始まるという(寺院沿革誌)。天保七年(一八三六)ウスの堂宇が回復した後も村人が阿弥陀堂を崇敬し続けたのを受け、安政四年(一八五七)善光寺は末寺としてこれを認め円融寺と公称した(八雲町史)。「蝦夷日誌」(一編)に阿弥陀堂として「勤番所のうしろの方ニ有。


円融寺
えんゆうじ

[現在地名]大和郡山市矢田町通

旧郡山城下の南東部にある。光岸山と号し、融通念仏宗。本尊は阿弥陀如来立像(鎌倉時代)。寺伝によれば、永禄一二年(一五六九)郡山の実感が真言宗を修行し初めて当寺を九条くじよう(現大和郡山市)に建て、江戸時代に入り現在地に移され、九世国誉の宝永七年(一七一〇)に融通念仏宗に転じたという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「円融寺」の意味・わかりやすい解説

円融寺
えんゆうじ

「えんにゅうじ」ともいう。京都市右京区にあった廃寺。983年(永観1)円融天皇の勅願により仁和寺(にんなじ)別当寛朝により慶讃供養(けいさんくよう)された。円教寺円乗寺円宗寺とともに四円寺(しえんじ)とよばれて栄えたが、仁和寺の荒廃とともに衰えた。

[若林隆光]

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デジタル大辞泉プラス 「円融寺」の解説

円融寺

東京都目黒区にある天台宗の寺院。853年創建と伝わる。室町時代に建てられた釈迦堂(本堂)は国の重要文化財に指定されている。

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事典・日本の観光資源 「円融寺」の解説

円融寺(第26番)

(埼玉県秩父市)
秩父三十四箇所」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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