ツウィッカウ(英語表記)Zwickau

デジタル大辞泉 「ツウィッカウ」の意味・読み・例文・類語

ツウィッカウ(Zwickau)

ドイツ東部、ザクセン州都市エルツ山地北麓、ムルデ川沿いに位置する。ロマネスク様式からゴシック様式に改築した聖マリエン教会聖カタリナ教会、市庁舎などの歴史的建造物が残る。作曲家シューマン生地で、博物館がある。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ツウィッカウ」の意味・わかりやすい解説

ツウィッカウ
Zwickau

ドイツ東部,ザクセン州の都市。人口10万4146(1999)。12世紀前半に遠距離交易路の交差点にできた商人居住地から発展。1290-1362年帝国都市,その後ザクセンの領邦都市。中世後期から織物業,鉄加工業,醸造業が栄え,14世紀に近郊で鉄,銅,銀,その後石炭採掘された。15世紀以後,銀の取引市場となり,16世紀に経済的繁栄をきわめた。宗教改革初期,ミュンツァーと〈ツウィッカウの預言者たちZwickauer Propheten〉(織物工シュトルヒN.Storch,同ドレクセルT.Drechsel,学生トーメM.Thomae)の影響で一時混乱に陥る。17世紀以後は,とくに三十年戦争の打撃によって著しい停滞を示した。19世紀に入り,石炭の採掘の拡大をてことして,再び繁栄の途につく。今日では,機械,自動車,電機,化学,織物工業,陶器製造が発達したドイツ東部有数の工業都市。作曲家シューマンの生地で,生家が残る。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ツウィッカウ」の意味・わかりやすい解説

ツウィッカウ
Zwickau

ドイツ東部,ザクセン州の都市。ライプチヒの南約 70km,エルツ山地から流れるツウィッカウアームルデ川沿いに位置する。 12世紀中頃から帝国直轄都市として市場を中心に発達。 1323年にマイセン辺境伯ウェッティン家の支配下に入った。急進的宗教改革者 T.ミュンツァーが 1520~21年説教をした地。聖マリエン教会 (1465~1536創建,1883~91修復) ,聖カタリナ教会 (14世紀) ,ゲワントハウス (1522~36) ,市庁舎 (15世紀) などのほか,ここで生れた作曲家シューマン (1810~56) を記念する博物館 (1956) もある。炭田地帯の中心で,採炭業のほか,自動車,機械,繊維製品などの製造が行われる。人口 11万 4632 (1991推計) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ツウィッカウ」の意味・わかりやすい解説

ツウィッカウ
つうぃっかう
Zwickau

ドイツ東部、ザクセン州の工業都市。1949~90年は旧東ドイツに属した。エルツ山脈の北麓(ほくろく)、エルツゲビルゲ盆地の中心にあり、ムルデ川に沿う。人口10万3000(2000)。1118年に記録に現れる盆地最古の町で、ザクセン地方の石炭採掘の中心地として盆地最大の都市でもある。繊維工業が盛んなザクセン諸都市のなかにあるが、むしろ機械工業が発展し、市の北部にはドイツ統一後フォルクスワーゲン自動車工場が進出している。工業学校があり、鉱山・工場労働者を養成している。第二次世界大戦で被害を受けたが修復され、ロマネスク・ゴシック式の教会や市庁舎、城などの建造物がある。作曲家シューマンの生地で、シューマン博物館がある。

[佐々木博]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ツウィッカウ」の意味・わかりやすい解説

ツウィッカウ

ドイツ中部,ザクセン州の工業都市。炭田の中心にあり,機械・自動車・繊維工業が行われる。中世来,銀,銅等の鉱山と織物で著名。ロマネスク様式の土台をゴシックに改修した名建築マリーエン聖堂,カタリナ教会等が有名である。作曲家シューマンの生地としても知られる。9万8000人(2005)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

スキマバイト

働き手が自分の働きたい時間に合わせて短時間・単発の仕事に就くこと。「スポットワーク」とも呼ばれる。単発の仕事を請け負う働き方「ギグワーク」のうち、雇用契約を結んで働く形態を指す場合が多い。働き手と企...

スキマバイトの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android