帯の結び目を前にした締め方。江戸時代には鉄漿(かね),留袖(とめそで)とともに,前帯は主婦であることの象徴であった。もともと帯は紐状の帯紐で,前に結ぶのが自然の締め方であった。しかし室町時代のころから公家や武家の女たちが袴をはかないようになり,それにつれて着物の袖や身丈(みたけ)が長くなるにしたがって,帯の幅も広くなり,いまのような帯付姿が流行するようになった。当初の帯の締め方は結び目が一定せず,前,後ろ,横さまざまであったが,元禄(1688-1704)ころから着物の袖や帯の締め方により未・既婚の区別が生ずるようになった。だいたい元服前は後ろ結びでこれを後ろ帯ととなえ,元服後は前結びの前帯としたが,これがいつか既婚者の表徴とかわっていった。しかし前帯では家事仕事の際に,結び目がじゃまになるため,文化・文政(1804-30)のころになると,町家の主婦は,30歳前まではふだんの日あるいは仕事中は前帯に結ばぬ習慣が生まれ,やがてこれが原因となって横結びの横帯ができた。このような推移ののち,やがて江戸時代の末には,庶民は30歳をすぎても前帯をする者がしだいに少なくなった。ただ前帯の風習は婚礼や葬儀の際の改まった着装法として残ったが,これとても都市ではしだいにすたれるようになった。農山村では大正時代の末までは,伊豆七島,四国,九州,青森,長野,石川などに,前帯が晴姿として残っていた。
執筆者:遠藤 武
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前結びの帯をいう。後ろ結びを後ろ帯といい、元服前の結び方で娘の代名詞となっていた。これに対して前帯、横で結ぶ横帯は元服後か既婚者の結び方で、成人した女子を表すことばに用いられた。前帯は江戸時代後期には、30歳までは家では後ろ帯、外出に前帯であったが、その後60歳以上の女性だけが前帯をするようになった。遊里では前帯を用いていた。前帯は仕事をするとき結び目がじゃまになり、仕事がしにくい、女性の後ろ姿が単純過ぎて美的要素に欠けるなどの理由で用いられなくなった。明治以降、前帯は都会にはみられなくなり、現在は全国的にほとんど後ろ帯になっている。
[藤本やす]
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…結び方も吉弥結び,水木結び,かるた結び,はさみ結び,ひっかけ結び,御所結びなどの種類があり,帯の締め方も前結びと後結びとがあった。前結びは前帯ともいわれ,おもに既婚者が結んだところから,主婦の代名詞にもされたが,それに対して後帯は少女の姿を意味していた。 1丈2尺に9寸幅というのは,ほぼ享保(1716‐36)以後,帯の基準となり,結び方もさらに種類が増えていった結果,帯が女装美の中心となり,ここに独特の和装の美が生まれることになったのである。…
※「前帯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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