歯を黒く染める染歯の慣習で,御歯黒のこと。鉄漿付けとか,古くは歯黒めなどとも呼ばれた。鉄漿付けに必要な鉄漿は,茶とか米のとぎ汁の中に古釘や折れ針などの鉄くずを入れて作られた。色つやを出すために酢,酒,飴なども混ぜ,さらに付きをよくするため,ヌルデの木の若葉に着く五倍子粉(ふしのこ)も合わせて用いられた。毎日,温めた鉄漿と五倍子粉とを,混ぜるかあるいは交互に筆で歯へぬりつけるもので,鉄漿沸し,鉄漿坏,鉄漿付け筆(歯黒筆)などの鉄漿付け道具があった。鉄漿は,平安時代の末ころまでは女子の慣習であったが,その後しだいに公家の男子や武士にまで及び,中世には上層の武士の間で一般化した。女子は裳着(もぎ),男子は元服といった15歳前後の成年式(成女式)のおりから付け始めたのである。ただし古代,中世には,10歳未満で付けた例も少なくなかった。江戸時代になると,男子の鉄漿はほとんど廃れたが,女子の場合は庶民層にまで普及した。しかも成女式から付けるのではなく,婚礼の前後に付ける慣習も増加し,やがて既婚女性の象徴としての性格を帯びるようになった。明治時代になると,文明開化政策の一環として,1870年(明治3)に華族の染歯が禁止され,ついで73年には皇太后が率先して鉄漿をやめたところから,民間の慣習もしだいに消滅した。ただし,その後も成女式や婚礼前後に初めて鉄漿付けをする初鉄漿(はつがね)の慣習は明治10年代ころまで,また既婚女性の場合は昭和初期に至るまで,鉄漿付けをしていた例もある。
伝承によると,初鉄漿の時期は婚礼の直前直後とか3日目の里帰りのおりなど,やはり婚礼時が多い。最も遅い例では妊娠5ヵ月目に行われた。しかし十三鉄漿,十七鉄漿付け,十八鉄漿といった名称が示すように,成女式と結びついたものもあった。成女式を〈鉄漿付け祝〉と呼ぶ地方もあり,祝宴には親類をはじめ村の若者も招待された。その後,若者との交際が認められたのである。また,初鉄漿のおりには鉄漿親,鉄漿付け親,筆親などと呼ばれる女性,もしくは1組の夫婦との間に擬制的親子関係を結ぶ慣習も広くみられた。鉄漿親としては親類の者とか,村内の中年以上の適当な女性が選ばれるが,婚礼時の初鉄漿の場合には仲人が兼ねることが多かった。鉄漿親は,鉄漿子に対して鉄漿付け道具などを贈り,一方,鉄漿子は盆正月の義理を務めるなど,生涯にわたり親密な交際がなされた。なお初鉄漿の際に,近所の7軒の家々から鉄漿をもらい集める〈ななとこがね〉の慣習も一般的であった。以上のような鉄漿の慣習は,北海道のアイヌと奄美大島以南を除く日本の全域に及んだが,古川古松軒の《東遊雑記》にもうかがわれるように,まれにはこの慣習のない地域もあったようである。インドネシアなど東南アジアの一部には染歯の慣習があるが,日本のそれとの関係はいまのところ定かではない。
執筆者:平山 和彦
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お歯黒(はぐろ)のこと。鉄屑(てつくず)を焼いたものを濃い茶の中に入れ、これに五倍子(ふし)の粉を加えてその液で歯を染める。この中に酒、飴(あめ)、粥(かゆ)を加えることもあるのは、口中に入れるものゆえ、不快さを和らげて使いやすくするためであった。ごく普通の家の女は、いろりの隅に小さな壺(つぼ)を用意して濃い茶を入れておき、その中にたき火の中の古釘(ふるくぎ)などの鉄屑を入れて金けを出しておいた。これに五倍子の粉を加え、前に述べたようなものを加えて温めて歯につけた。道具としては、鳥の羽を束ねたものや、楊(やなぎ)の木の細い枝の先を細かく砕いて繊維を刷毛(はけ)のようにしたものを使った。武家などでは耳盥(みみだらい)とよぶ器具を使うこともある。
この鉄漿付けの風習がいつの時代に始まったかはつまびらかでないが、平安時代の貴族の間で行われていたことは『源氏物語』や『枕草子(まくらのそうし)』にもみえるし、源平時代には男子も鉄漿をつけていた者のあったことは戦記物のなかにもみえる。江戸時代に至って一般庶民の婦人のなかに行われるようになったが、男子のほうはすでに廃れていたらしい。毎朝の身だしなみとして髪を結い、鉄漿をつける女もあった。
鉄漿付けは元来成女のしるしで、いわば結婚可能の女であるということを社会的に披露する意味があって、「十三がね」とか「十三祝い」ということばがあるように、多くの場合、初経(初潮)を機につけたものである。時代を下るにしたがって、しだいに遅くなる傾向があり、「十七がね、十八がね」のことばもある。初めてつけるときには、鉄漿親(かねおや)という仮親を決めて指導を頼んだ。頼まれた親のほうでは鉄漿付け用具を贈り、娘は鉄漿娘とか筆子(ふでこ)などとよばれ、この仮の親子関係は生涯続いた。とくに結婚に際しては、嫁のほうの世話役として重要な位置を占めた。後代、鉄漿付けの風習がなくなっても、仲人(なこうど)のほかに鉄漿親と称する仮親を頼む風習が現在も残っている地域も多い。鉄漿付けの初めには、ナナトコガネと称して7軒の家から鉄漿をもらい集めて用いるという風習もあった。鉄漿付けの年齢は前述のように遅れてきたが、さらに結婚の決まったときとか、結婚した翌日とか、あるいは妊娠してからというように延引してきたが、「赤子に白歯を見せるものではない」などという言い習わしもできて、子供の生まれるときに歯染めをする例もある。結婚しない婦人でも鉄漿をつけることがあって、福井県では30歳になってつけたが、これをヒロイガネとよんでいる。明治以後法令でこれを禁じたが、民間の慣習は根強く残って、大正時代に入ってもまれにはお歯黒をした老女をみることがあった。
[丸山久子]
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…【鍵谷 明子】
【歴史】
[日本]
化粧は仮粧とも書き,〈けしやう(けしよう)〉〈けさう(けそう)〉〈けはひ(けわい)〉などと呼んだが,時代によって意味する範囲が多少異なっていた。平安初期以後の文学作品に見られる〈けしやう〉〈けさう〉は,紅,白粉(おしろい),鉄漿(かね)をつけることから身づくろいまでを含む広い意味をもっていた。また〈心けさう〉という使われ方にもうかがわれるように,精神的な分野にまで及んでいた。…
…なお,《古事記》応神天皇の段に載る歌謡には歯並びをシイやヒシの実にたとえた,〈歯並(はなみ)は椎菱(しいひし)なす〉という句がみえる。歯を黒く染める風習は日本古来のもので,成人女性(《枕草子》《源氏物語》《紫式部日記》《堤中納言物語》など)だけでなく,後には平忠度(たいらのただのり)や平敦盛などの平家の公達(きんだち)(《平家物語》《源平盛衰記》など)や源義経(《義経記》)も鉄漿黒(かねぐろ)にした。男性が歯を黒く染めたのは聖徳太子に始まるという説(《関秘録》)もあるが,多くの書は鳥羽院のころ(12世紀)からと述べている。…
※「鉄漿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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