改訂新版 世界大百科事典 「前田検校」の意味・わかりやすい解説
前田検校 (まえだけんぎょう)
生没年:?-1685(貞享2)
江戸初期の平曲家。前田流の流祖。没年は1656年(明暦2)ともいう。名は九一(きゆういち)。一方流(いちかたりゆう)師道派の高山誕一検校の門人で,江戸時代初期に活躍した。同じ一方流の波多野検校はじめ,時の一方検校衆によって,平曲の詞章や曲節が吟味改訂されたとき,前田検校は師の高山検校の方針を受け継いで改訂に反対し,彼の率いる一派は前田流と呼ばれた。前田検校の詳しい経歴は明らかでないが,館山漸之進の《平家音楽史》によると,もと織田有楽斎(うらくさい)に仕えたが,京都で平曲の腕を磨いたのち,江戸に移り,波多野検校と並んで徳川家光の寵遇(ちようぐう)を得,波多野検校に次いで2世江戸宗匠を務めた。前田検校の芸風は〈風流に語りなせり。それゆえ句の長短,節のあやなし,優にいひかないたり〉(《平家音楽史》)といわれ,優美さを特徴としたようである。前田流が《海道下り》を得手としたのも,この芸風を受け継いだものと思われる。弟子には,当道(とうどう)の総検校になった桐山由牟一をはじめとして,多くの名人がいる。
→前田流
執筆者:薦田 治子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報