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加納城 かのうじょう

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日本の城がわかる事典の解説

かのうじょう【加納城】

岐阜県岐阜市にあった平城(ひらじろ)。国指定史跡。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの後に築かれた城で、江戸時代を通じて加納藩の藩庁が置かれた城である。南北約600m、東西約300mと南北方向に細長い城域を持ち、二重の堀を巡らした城郭で、天守台が築かれたが、結局、天守は建造されず、その代わりに御三階櫓(ごさんがいやぐら)が建てられた。中心的な城が新造の名古屋城(愛知県名古屋市)に移ったため、天守の建築が取りやめになったともいわれている。加納城の前身は、1445年(文安2)に美濃土岐氏の家宰斎藤利永が築いた沓井城である。同城は1538年(天文7)以前に廃城となった。関ヶ原の戦いの翌年の1601年(慶長6)に、西軍(豊臣方)に与した織田秀信(信長の嫡孫)の居城だった岐阜城(岐阜市)が破却処分となったが、その代わりとして、かつての沓井城の跡地に築かれたのが加納城である。徳川家康が豊臣氏や西国大名を牽制するための拠点として、本多忠勝や娘婿の奥平信昌に命じて築かせた城である。同城の築城の際、岐阜城の天守が二の丸の御三階櫓として利用されたと伝えられている。信昌は同城完成後の1603年(慶長8)に加納藩10万石の初代藩主として入城し、嫡子不在から奥平氏が改易となる1632年(寛永8)まで奥平氏の居城となった。その後、奥平氏に代わって大久保忠職が一時的に城主を務めたのち、戸田光重を初めとする戸田氏3代、安藤信友らが城主(藩主)を務め、1755 年(宝暦5)に永井信陳が3万2000石の大名として入城後は、明治維新に至るまで永井氏が城主をつとめた。1871年(明治4)の廃藩置県後、廃城となり城の建物は解体され、城門などは売却処分となった。なお、最後の城主の永井尚服は幕府要職(若年寄)をつとめていたが、戊辰戦争では新政府側に与したことから岐阜県に編入されるまで加納県の県知事を務めた。1939年(昭和14)、かつての本丸跡には旧陸軍の第51航空師団司令部が置かれ、戦後も1954年(昭和29)から1975年(昭和50)まで自衛隊の駐屯地となっていた。現在、かつての本丸周辺は加納公園として整備され、同公園内には石垣、曲輪(くるわ)跡、堀跡などの遺構がわずかに現存している。なお、本格的な発掘調査が行われ、沓井城を含む多数の遺構が発掘されたが、現在は保存のため埋め戻されている。このほか、岐阜市内のエグゼクス・ガーデン(EXEX GARDEN)に、二の丸門とされる城門が移築され現存している。JR東海道本線岐阜駅からバスで加納中学校前下車、または名鉄本線加納駅から徒歩約15分。

出典|講談社
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