日本大百科全書(ニッポニカ) 「動物昔話」の意味・わかりやすい解説
動物昔話
どうぶつむかしばなし
動物が登場人物として活躍し、動物の社会のできごとを語る昔話の総称。さまざまな種類の動物が、自然のままの姿で、それぞれの種類の属性を生かした性格の役柄に擬人化され、異なる種類の動物相互の葛藤(かっとう)を物語の主題にしているのが普通である。「猿蟹(さるかに)合戦」の猿と蟹の対照は、この昔話の発端の事件の絵模様を形象するのに、きわめて効果的である。動物は種類により、だいたい共通した性格で描かれている。「尻尾(しっぽ)の釣り」などにみられるように、狐(きつね)は悪賢い動物、猿は少しまぬけな動物といった役柄で登場することが多い。動物昔話は、古代文明社会の文学にも、かなり豊富にみえている。古代インドのサンスクリット文学の『ジャータカ』や『パンチャタントラ』、古代ギリシアの『アイソポス寓話(ぐうわ)集』(イソップ物語)などは、その代表的な例である。これらの文学では、動物昔話一つ一つの教訓的効果が強調されているが、それが昔話の本来の社会的意義の重要な部分であったようである。日本の動物昔話の最古の記録は、『古事記』(712)の「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)」である。これは、『古事記』では大国主命(おおくにぬしのみこと)の物語の一部になっているが、兎が仲間の数を比べようといって、ワニ(フカの類)の仲間を並べさせ、数えるふりをして海を渡るという部分は、完全に動物昔話の一つである。類話は、シベリア東部のコリヤーク人、樺太(からふと)(サハリン)南部のニブヒ(ギリヤーク)人、インドネシア、インドなどにあり、古代日本にも昔話として伝わっていたに違いない。
動物昔話は、しばしばずるい動物を主人公にした連鎖譚(たん)を形成しており、ヨーロッパの中世叙事詩『狐物語』は、その連鎖譚を文学的にまとめ上げたもので、ヨーロッパの動物昔話に影響を与えているといわれているが、それ以前、あるいはそれとは別個に展開したと思われる動物昔話の連鎖譚も少なくない。動物昔話は、文字文明とは隔絶していた民族にもあり、古い人類文化の一つと考えられる。動物が人格的に活動するということは、宗教的には動物にも人間と同じ精神が存在することを認める一種の動物信仰になるが、文学的には比喩(ひゆ)とみることもできる。「桃太郎」や「かちかち山」などのように、人間とともに動物が動物昔話と同じ姿で登場するものもある。「かちかち山」の類話を構成している朝鮮の「虎(とら)と兎」や北ヨーロッパの「熊(くま)と狐」などは、動物の葛藤を描く昔話の連鎖譚の典型的な例であるが、重要な部分で人間が登場している。『古事記』の「因幡の白兎」も神々の物語と結び付き、大国主命が木の割れ目に挟まれたり、焼いた石に襲われたりするなど、外国の動物昔話に類話があるような物語の連鎖譚になっている。北アメリカ先住民におけるトリックスター(ずるい主人公)の説話群でも、トリックスターは半神的な動物で、文化英雄ないしは創造神の性格さえ帯びている。動物昔話は、本来、動物と人間との同一平面での交渉を語るものであったかもしれない。動物昔話には、物語の構成は単純で、教訓や動物の特徴の起源を説くことに主眼のある類型もある。「雁(がん)と亀(かめ)」で、雁がくちばしに挟んだ棒をくわえて空に上がった亀が、口をきくなという雁の戒めを忘れて口をきいたために、落下して甲羅にひび模様が生じたという類である。
また単純な動物笑話や形式譚もある。村の蛙(かえる)が峠で立ち上がって町のほうを眺めると、目が後ろ向きになって村が見える。蛙は町は村と同じだといって村に帰ったという「京の蛙と大阪の蛙」や、鼠(ねずみ)の娘が世界一強いものを婿にするといって次々と探す「鼠の嫁入り」の類である。これらの動物譚は、単純な比喩譚である。人間を主体にした昔話に登場して人格的に活動する動物は、「動物報恩譚」にみるように、一般に怪異性をもっていて、人間と同一平面にはたたず、動物昔話の動物とは異なる。
[小島瓔]