勝光寺
しようこうじ
三日市町南裏の寺町にあり、近田山と号し浄土真宗本願寺派。教円の開基。九世明願が寛永三年(一六二六)現在地に一宇を建立し勝光寺と号した。本尊阿弥陀如来。
「芸藩通志」などによれば、開祖教円は渡辺綱の裔で、周防義房と称し下総国に住んだがのちに僧明光の弟子となり、備後国安那郡北山村(現福山市)に移り、建長四年(一二五二)同地に昭専寺、神石郡近田村(現油木町)に正光寺を建立。
勝光寺
しようこうじ
[現在地名]加賀市打越町
打越町の集落北西部にあり、弓波山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。寺伝ではもと弓波にあった天台宗諦通院が覚如に帰依して改宗し、弓波坊・滝野堂と称したが、明徳元年(一三九〇)綽如が勝光寺と改め、三男頓円、ついで孫の祐信が入寺したという。「天保由緒書」はこの祐信を開基とするが、寺院明細帳など明治期の由緒書は開基を本願寺五世綽如とし、弓波より室江(室ノ郷)に移り、永正一五年(一五一八)当地に移転したとする。
勝光寺
しようこうじ
[現在地名]栃木市国府町
中坪にある真言宗寺院で、現在は単立。瑠璃光山不動院と号し、本尊は大日如来。明鑁の開基と伝えるが、創建年代はつまびらかでない。初め大宮の塚原にあり、下野国府の廃滅後、国府政庁跡に移ったともいう。日光山禅定峰寒沢宿(現日光市)にあった宝殿蔵と伝える法華経に、文明九年(一四七七)八月二〇日「府中勝光寺住侶宏
」と記されるが(大日本史料八―一〇)、宏
は当寺第五代という。
勝光寺
しようこうじ
[現在地名]羽曳野市誉田一丁目
西落山と号し、浄土真宗本願寺派。河内十二坊の一とされ、本尊は阿弥陀如来。万治元年(一六五八)写の河州誉田西落山勝光寺相続次第(寺蔵)によれば、楠木正成の弟正氏の子正隆が出家して了珍と名乗り、真言宗の一宇を創建したのに始まるという。その子正義も了法と号し、真言宗ながら浄土真宗に帰依したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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