日本大百科全書(ニッポニカ) 「十三塚原」の意味・わかりやすい解説
十三塚原
じゅうさんつかばる
鹿児島湾奥の姶良市(あいらし)加治木町(かじきちょう)地区、霧島市(きりしまし)溝辺町(みぞべちょう)地区、同市隼人町(はやとちょう)地区の3地区にまたがって開けたシラス台地。地名は、大隅(おおすみ)の国分八幡(こくぶはちまん)と宇佐八幡とが神位を争ったとき、宇佐側が国分八幡を焼かせ、その使者が帰途この地で13人倒れたので、ここに塚をつくったことによる。南北約7キロメートル、東西約3キロメートル、標高240~280メートルの間に広大な平坦(へいたん)面をもつ。周囲は霧島山から流れる天降川(あもりがわ)や網掛川(あみかけがわ)の支流によって侵食され急崖(きゅうがい)をなす。台地上では現在茶、野菜類、果樹の栽培が行われている。第二次世界大戦中この台地の一角に海軍の飛行場があったが、1972年(昭和47)現在の溝辺町地区に鹿児島空港が建設された。九州自動車道や空港関連施設(ホテル、ターミナルビル、駐車場など)も多くなり、台地上の景観はいまなお変化しつつある。
[塚田公彦]