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十五銀行 じゅうごぎんこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

十五銀行
じゅうごぎんこう

1897年第十五国立銀行改組によって発足した普通銀行。第十五国立銀行は華族金禄公債を資本とし 77年に設立。当時最大の国立銀行であり,発券銀行であると同時に預金銀行でもあったが,97年国立銀行としての営業期限満期により十五銀行に改組,普通銀行となった。第1次世界大戦中は大いに発展し,1920年浪速銀行,神戸川崎銀行,丁酉銀行の3行を合併,さらに同年泰昌銀行の経営を引受け,翌 21年には岡山津田銀行を合併,京都商工貯金銀行をも買収した。しかし 23年の関東大震災の打撃に続いて,27年には金融恐慌による取付けにあい休業。その後政府の援助によって再開したが業績ふるわず,44年帝国銀行 (→三井銀行 ) に合併された。

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百科事典マイペディアの解説

十五銀行【じゅうごぎんこう】

1877年創立の第十五国立銀行を1897年普通銀行に改組したもの。華族金禄公債を資本として創立,華族銀行と呼ばれ,抜群の大銀行であった。1881年その出資で日本鉄道会社を設立。
→関連項目三井銀行[株]

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世界大百科事典 第2版の解説

じゅうごぎんこう【十五銀行】

1877年(明治10年)に開業した第十五国立銀行の後身。第十五国立銀行は岩倉具視の主導により,484名の全華族が金禄公債を出資して設立され,資本金1782万円は全国立銀行資本額の約47%を占めた。西南戦争の軍費調達など政府財政と密着しつつ発展し,また華族を大株主として81年に創設された日本鉄道会社株式の22%を所有して,旧封建支配者の資本家化に大きな役割を果たした。銀行券発行について他の国立銀行よりも特権を認められていたが,83年の国立銀行条例の再度の改正とともに普通の国立銀行になり,93年には華族以外にも株式を開放し,97年5月に私営の株式会社十五銀行になった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

十五銀行
じゅうごぎんこう

1877年(明治10)5月に東京で開業した第十五国立銀行の後身。第十五国立銀行は、華族が金録公債を出資して設立されたもので、その設立時の資本金1782万円は当時の銀行としては最大の規模であった。発行銀行券の大半は西南戦争の戦費に貸し付けられたほか、日本鉄道会社(上野―青森間の私鉄)の経営にも大きな役割を果たした。1897年5月、株式会社十五銀行として普通銀行に転換、華族出身でない園田孝吉を頭取に迎えた。これ以後、普通銀行として活躍するが、宮内省をはじめ華族、諸官庁の預金が多かったことが特徴で、依然として華族銀行の別名でよばれた。1920年代に入ると、浪速(なにわ)、丁酉(ていゆう)、神戸川崎など6銀行を合併、支店網も全国的な広がりをみせたが、23年(大正12)の関東大震災の打撃がきわめて大きく、27年(昭和2)の金融恐慌時に休業を発表、破綻(はたん)するに至った。その後再開業するが、営業は振るわず、第二次世界大戦下の金融統制政策により、第一銀行と三井(みつい)銀行が合同した帝国銀行に1944年8月合併された。1948年(昭和23)に至り、第一銀行は帝国銀行から分離。十五銀行は旧三井銀行とともに帝国銀行にとどまった。帝国銀行は、1954年に三井銀行(現三井住友銀行)と改称した。[岡田和喜]

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