改訂新版 世界大百科事典 「十五銀行」の意味・わかりやすい解説
十五銀行 (じゅうごぎんこう)
1877年(明治10年)に開業した第十五国立銀行の後身。第十五国立銀行は岩倉具視の主導により,484名の全華族が金禄公債を出資して設立され,資本金1782万円は全国立銀行資本額の約47%を占めた。西南戦争の軍費調達など政府財政と密着しつつ発展し,また華族を大株主として81年に創設された日本鉄道会社の株式の22%を所有して,旧封建支配者の資本家化に大きな役割を果たした。銀行券発行について他の国立銀行よりも特権を認められていたが,83年の国立銀行条例の再度の改正とともに普通の国立銀行になり,93年には華族以外にも株式を開放し,97年5月に私営の株式会社十五銀行になった。1914年から宮内省金庫事務の取扱いを命じられた。20年に神戸川崎銀行,浪速銀行,丁酉銀行を合併し,払込資本金5000万円,預金総額3億2000万円の巨大銀行になった。この4行の頭取の松方巌,川崎芳太郎,松方正雄(巌の弟),成瀬正恭はみな鹿児島県の出身者で,合資会社川崎総本店が筆頭株主となり,島津家や成瀬家も大株主になり,薩州系の人脈と資本が多面的に絡んでいて,〈薩州系企業の金庫〉と呼ばれた。すなわち松方兄弟の経営する川崎造船所,国際汽船,常盤商会,東京瓦斯電気,帝国製糖などの諸企業に27年5月の時点で1億4178万円を融資していた。しかしこれらの重工業中心の諸企業は,1920年の恐慌以後は収益が悪化し,このため十五銀行の経営も急速に悪化していった。27年3月に起こった金融恐慌の中で十五銀行はついに4月21日に休業を宣言し,つづいて川崎造船所も整理に追い込まれた。しかし十五銀行の株式の16%は華族が所有していたため,貴族院の働きかけにより高橋是清蔵相からの依頼をうけて郷誠之助が再建にあたり,28年4月営業を再開し,中小商工業への金融に転換した。戦時金融統制政策により,第一銀行と三井銀行が合同した帝国銀行に44年8月合併された。戦後48年に帝国銀行から第一銀行が分離し,54年帝国銀行は三井銀行と改称した。
執筆者:三島 康雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報