コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

郷誠之助 ごうせいのすけ

7件 の用語解説(郷誠之助の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

郷誠之助
ごうせいのすけ

[生]慶応1(1865).1.8. 岐阜
[没]1942.1.19. 東京
実業家。男爵郷純造の次男に生れる。同志社英学校東京大学などに入学したが,1884年ドイツへ留学。 91年帰国後は一時農商務省に勤めたが,95年経営難に陥っていた日本運輸社長に就任,さらに入山採炭社長 (1900) となり,両社の再建に成功。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ごう‐せいのすけ〔ガウ‐〕【郷誠之助】

[1865~1942]実業家。岐阜の生まれ。東京株式取引所理事長・日本商工会議所会頭などを歴任。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

郷誠之助【ごうせいのすけ】

実業家。美濃(みの)国方県(かたがた)郡出身。父の純造は大蔵次官。同志社・東大に学び,ドイツ留学後,農商務省に勤務。1895年日本運輸会社社長として財界に入り,以後多くの会社に関係,不良会社の整理に活躍し財界世話業と称された。
→関連項目番町会

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

郷誠之助 ごう-せいのすけ

1865-1942 明治-昭和時代前期の実業家。
元治(げんじ)2年1月8日生まれ。郷純造の長男。ドイツ留学後,明治28年日本運輸,33年入山採炭の社長となり,会社再建をはたして経営手腕をみとめられる。44年東京株式取引所理事長,昭和5年日本商工会議所会頭となるなど,財界のリーダー役をつとめた。貴族院議員。昭和17年1月19日死去。78歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

ごうせいのすけ【郷誠之助】

1865‐1942(慶応1‐昭和17)
明治・大正・昭和期の実業家。岐阜出身の大蔵官僚郷純造の次男で男爵を襲爵。東京英語学校,同志社,東京大学法科選科に短期在学。のちドイツで約8年間の遊学生活を送り,経済学でハイデルベルク大学の博士号を取得して1891年に帰国。92年農商務省に入ったが,95年に日本運輸会社社長となって実業界に第一歩をふみだした。王子製紙の整理などで手腕を発揮し,しだいに財界の世話役的存在になっていった。1911年に貴族院議員に当選,東京株式取引所理事長にも就任,その後,日本工業俱楽部専務理事,日本経済連盟会常務理事,東京商工会議所会頭,日本商工会議所会頭,全国産業団体連合会会長を歴任し,団琢磨暗殺ののちには日本経済連盟会会長に就任した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ごうせいのすけ【郷誠之助】

1865~1942) 実業家。岐阜県生まれ。貴族院議員。東京株式取引所理事長・日本商工会議所会頭などを歴任、財界に重きをなした。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

郷誠之助
ごうせいのすけ
(1865―1942)

実業家。男爵郷純造(じゅんぞう)の次男。美濃(みの)国黒野村(現岐阜市)生まれ。1882年(明治15)東京帝国大学法科に入学したが、まもなくドイツに留学、91年帰国。農商務省勤務後、95年日本運輸社長となり、以来、入山採炭など経営不振企業の再建に成功して手腕を認められた。1911年(明治44)東京株式取引所理事長に就任、以後13年間同所の改革に尽力した。この間、日本工業倶楽部(くらぶ)専務理事、日本経済連盟会常務理事を務めた。その後、日本郵船と東洋汽船の合併斡旋、十五銀行、川崎造船所、東京電燈(でんとう)などの整理、官民製鉄所合同の推進を行った。30年(昭和5)東京商工会議所会頭となり、日本商工会議所会頭を兼ねた。渋沢栄一死後の財界の大御所といわれた。[小早川洋一]
『郷男爵記念会編・刊『男爵郷誠之助君伝』(1943) ▽野田礼史著『人間――郷誠之助』(1939・今日の問題社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

郷誠之助の関連キーワード守屋孝蔵早川徳次漂泊者のアリア伊丹弥太郎榎昌種田健蔵小寺源吾島定治郎原錦吾矢橋亮吉

今日のキーワード

日本政策投資銀行

1999年に日本開発銀行と北海道東北開発公庫を統合し、発足した政府系総合政策金融機関。一般の金融機関が行なう金融などを補完・奨励し、長期資金の供給などを行ない、日本の経済社会政策に金融上で寄与していく...

続きを読む

コトバンク for iPhone