財貨を安全に収納するための箱(容器)または室(施設)。収納物件に応じて多くの種類があり、一般に火災、水難、盗難などの危険から収納物件を保護する構造をもつ。金庫の発生は古代にまでさかのぼるが、19世紀前半までは金属製のものはなく、カシ材などの厚板製の箱に鍛鉄の箍(たが)をはめたものが各国で使用されていた。しかし近世後半、都市商業活動の発達に伴って耐火性の製品が求められるようになり、現在の金庫の原型となるものがフランス(1820年代)、イギリス(1830年代)、アメリカ(1850年代)で次々と現れた。それらは鋳鉄製の二重構造で、空隙(くうげき)部には砂、石膏(せっこう)粉末など、当時に考えられる限りの耐火材料が充填(じゅうてん)されていた。しかし実際的な効果はあまりなく、1900年代に入ってから鋳鉄にかわって鋼板が、また耐火材料に珪藻土(けいそうど)が使用されるようになった。
日本では1869年(明治2)に、竹内弥兵衛(やへえ)が外国式金庫の製造を開始した。当初は鋳鉄製で耐火材料に砂を使用したもので、なかには総桐製の内箱を入れて金蒔絵(まきえ)まで施したものもあった。しかしほとんどが関東大震災(1923)で焼けてしまったため、以後は鋼板製で珪藻土充填のものが急速に普及した。
最近の金庫の耐火性能はきわめて優れているが、耐火材料として発泡コンクリート、石膏などが充填されており、軽量化し、家庭にまで広く普及できるほどコストダウンされた。しかし、耐火金庫の防盗性は低い。
[日野原幹吾]
金庫の出現とともに金庫破りが発生して以来、彼らと金庫業者との間には技術競争が演じられてきた。欧米では第一次世界大戦前後から爆薬で金庫を破壊する犯罪が激増したが、この原因の一つには、鉱山、土木作業場、戦場などで爆薬の使用法を覚えた失業者が増加したことがあげられている。そのため、業者は防盗金庫と耐火金庫とを分離し、さらに防盗金庫を従来の鋳鉄製から厚い鋼板製にかえることで対抗したが、早くも1920年代にはこれも酸素・アセチレントーチによって焼き切られたため、30年代から第二次大戦後は耐トーチ、耐ドリル合金の積層構造へと改良された。現在は防盗金庫と耐火金庫が別々に生産されているが、耐火金庫の耐火材料としては、石膏のような多くの結晶水をもつ材料を水練りしたものが注入されており、火災にあうと庫内に多量の水蒸気が噴出して、庫内温度の上昇を防ぐようになっている。
[日野原幹吾]
金庫類の耐火性能のテスト方法はJIS(ジス)(日本工業規格)で規定されており、防護できるメディアの種類(紙類、データ・テープなど)と、耐火時間の異なる製品が供給されている。
防盗性能のテストは金庫業界の団体規格で規定されており、溶断、穿孔(せんこう)、打撃などにより突破可能な時間を測定する。ただしこの規格はまだ遊休しているのが実情である。
金庫の安全性保持における錠の役割は大きく、この分野でも業者と錠破りの競争が続けられている。主錠であるレバータンブラー錠が、イギリスのジェレミア・チャブによって1818年に発明されて以来、各国でそれを原型としたキー・ロックが開発されたが、鍵(かぎ)穴から爆薬(ニトログリセリン)を注入される欠点があるため、さらに、主錠が破壊されると自動的にリロック(再施錠)が作動するものも考案された。アメリカでは6~8桁(けた)の暗号数字をダイヤルであわせて解錠する数字符号錠が、ジェームズ・サージェントによって発明され、以後キー・ロックと決別したが、金庫破りがダイヤル軸を叩(たた)き込む手法(タンパリング)を開発したので、現在はリロック装置も併用されている。また解錠法を知っている人間を脅迫して金庫を開かせる手口に備え、時計錠(1875年、サージェント発明)も併用されている。
[日野原幹吾]
耐火、耐水、防盗用のいずれも厚い鉄筋コンクリートの壁で築かれ、最大重量40トンにも達する厚い扉をもち、なかには戦争を含むすべての危険に耐えるものまである。普通は建物の一部として設計され、建物と一体化されている。
[日野原幹吾]
金庫や金庫室の安全を守るため、それら本体の堅牢(けんろう)さや施錠システム以外に、電子システムによる侵入警報、有線テレビによる監視システムなどで「保安の連鎖(セキュリティ・リンク)」を構成するという考えが生まれた。この構想のもとになされた保安システムをトータル・セキュリティとよぶ。
[日野原幹吾]
金融機関の呼称の一種。ドイツ語のカッセKasseおよびフランス語のケスcaisseに由来し、特別な範囲または種類の金融を営む金融機関の名称として用いられるようになった。その最初は、1923年(大正12)の産業組合中央金庫(農林中央金庫の前身)であり、ついで1936年(昭和11)に商工組合中央金庫が設立された。その後、政府出資による公的な金融機関の名称に使われるようになり、第二次世界大戦前および戦中に、恩給金庫、庶民金庫、国民更生金庫、戦時金融金庫、南方開発金庫、外貨金庫が、戦後に復興金融金庫が設けられた。しかし、最近はこのような公的な金融機関の名称には金融公庫が用いられるようになり、現在、金庫とよばれているのは、政府および中小企業協同組合を株主とする商工組合中央金庫、農業協同組合の系統金融の上部機関としての農林中央金庫、民間の会員(中小企業者)組織による信用金庫、労働組合の出資による労働金庫、の四つである。
なお、1963年(昭和38)の地方自治法改正前には、都道府県および市町村の公金を取り扱う金融機関のことを金庫(指定金庫制度)とよんでいた。
[石野 典]
金銭や貴金属類,重要書類などを安全に保管するための室,あるいは箱。盗難や火災から守るため,各種の仕掛けが施されている。銀行の金庫室はその代表的なもので,きわめて大がかりな扉を開閉するようになっているが,近年は書類や磁気テープなどの情報源の保管の重要性が増し,金庫の構造も多様化している。単独の箱型の金庫にはJIS規格による耐火性能試験があり,防盗性能については,ガスバーナーによる溶断試験,ドリルによる穿孔試験,鋼球落下による衝撃試験などを業界で実施している。
貴重品を保管する方法は古くから考えられていたが,防犯・防災の機能が備わったといえるのは19世紀になってからである。それまでは硬質のオーク材の箱を鉄のベルトで補強したものなどが用いられていたが,1820年ころフランスで,鉄を二重ばりにし,その間に防熱材を詰めた金属製金庫が作られたという。30年代にはイギリスのC.チャブやブリキ職人のミルナーThomas Milnerが鉄ばりの金庫を製作した。40年にミルナーは,アルカリ溶液を入れたチューブで火災時には蒸気を出して炎上を防ぐ金庫も考案している。しかし67年にダイナマイトが発明されると,爆破に対しても備えなければならなくなり,ニッケル鋼やクロム鋼などを用いた分厚い壁を備えた金庫室が作られるようになった。1915年にはアメリカのルイジアナの銀行で,特殊鋼製の金庫室が酸素アセチレンで焼き切られる事件が発生し,コンクリートと鉄鋼を併用するなどの対策を迫られた。また,錠前破り対策としては,D.フィッツジェラルドによる数字や文字を組み合わせる符合錠(コンビネーション・ロック)の開発,J.サージェントによる一定時間作動するタイム・ロックの考案が画期的といえる。
日本では江戸時代,千石船に積まれていた船簞笥(ふなだんす)に盗難や難破に対するくふうがこらされていた。商家では千両箱が使われていたが,1866年(慶応2)の横浜大火の際,外国商館の鉄ばり金庫に保管されていたものが難を免れ,注目をあびるようになった。そこで69年(明治2)に,神奈川の竹内弥兵衛が洋風金庫を製造販売しだしたという。〈弗箱(ドルばこ)〉の名で知られたが,のちには泥棒除けにもなるところから〈泥箱〉とも呼ばれた。大正時代には鋳鉄製の金庫の量産が可能になり,1923年の関東大震災で金庫の役割が再認識されたが,第2次世界大戦中は金属統制のため製造中止となっていた。
執筆者:殖田 友子+荒俣 宏
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…なお,古代中国には通貨とされた子安貝を蓄える貯貝器(ちよばいき)があり,雲南省の石寨山古墓(せきさいさんこぼ)などから青銅製のものが出土している。現存する世界最古の金庫であり,貯金箱であろう。【高田 公理】【殖田 友子】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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