日清・日露戦争のころにはじまり,第2次大戦中とくにその前期に出征兵士に婦人たちから贈物とされた弾丸よけの守りで,腹巻の形をとっていたものが多い。白または黄色のさらしに赤糸をもって1人1針ずつを縫ってもらい,1000人の針目を通し,これに5銭もしくは10銭の白銅貨を結びつけるのがふつうであった。1000人の祈念を結集して使用者の身の安全を願うという意味でつくられたものである。5銭は〈4銭(死線)を越える〉,10銭は〈9銭(苦線)を越える〉という語呂合せによった縁起を祝ったものであって,実用的な弾丸よけ効果はない。この形式は古くからの民間に行われた個人の危機にのぞんで多数が力を合わせて,その個人を救おうとする方法であった。古くは百度参りや千垢離(せんごり)祈願がこれにあたり,第2次大戦後は病気平癒を見舞う千羽鶴を折って贈る風習につながる。要は危機,不安を多数の合力によって防ぎ払おうとするところに意義を認めようとする表現で,千というのは多数を象徴する数である。
執筆者:千葉 徳爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
千人の女性が一針ずつ縫って結び目をこしらえた白木綿の布。これを肌につけて戦争に赴けば、戦苦を免れ無事に帰還することができるという俗信から発生した風習。このような俗信は、弱い者や危機にある人のために、多人数の力をあわせて、危機を無事に脱却させようとする動機から出た呪願(じゅがん)の一種とみてよい。1894~95年(明治27~28)と1904~05年(明治37~38)の日清(にっしん)・日露戦争のときから始まったという。肌に巻く晒(さらし)などに赤い糸で縫うもので、この赤という色にも災害をよける意味があったとみられる。日中戦争~第二次世界大戦の際には、街角や駅前などに女の人が並んで一針を請うていたが、当時流通していた五銭・十銭の穴あき硬貨を同じ糸でかがりつけて、「死線(四銭)を越える、苦戦(九銭)を免れる」などという呪(まじな)いにする俗信もあわせて行われていた。とくに「虎(とら)は千里を行き千里を帰る」という故事に基づいて、寅(とら)年生まれの女性からはその年齢だけの数を縫ってもらうと効が多いといわれていた。
[丸山久子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日清・日露戦争に始まり,昭和期の戦中を通して出征兵士におくられた弾丸よけのお守り。白木綿の腹巻に1000人の女性が赤糸で1針ずつぬい,社寺の守札や5銭銅貨をぬいつけた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…33は厄年や弔い上げの年忌とされ,49も忌明け,七七日(なななのか),四十九餅など葬送儀礼でよく使われる。100は百日目の食初めとか百度参りといった儀礼や祈願にみられ,1000も千社詣,千社札,千人針,千人結び,千歳飴(ちとせあめ)など縁起のよい数とされている。【飯島 吉晴】。…
※「千人針」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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