( ②について ) ( 1 )近世以降、背中で引き合わせる形式の鎧を腹巻、右脇で引き合わせるものを胴丸と呼ぶが、鎌倉期以前の文献には「胴丸(どうまる)」の確実な例はなく、「腹巻」のみが用いられる。
( 2 )鎌倉後期の「土蜘蛛草紙」に、腹巻着用の図として胴丸が描かれていることなどから、鎌倉・室町初期以前には、胴丸は腹巻と称していたらしい。
日本の中世甲冑(かっちゅう)の一様式。ただし中世の諸記録や軍記物語などに記述されている腹巻は、右引合せ様式の甲冑であった。のちに名称に混乱がおこり、胴丸(どうまる)ととなえられていた背面を引合せ(背割(せわ)り)とする甲冑と名称が交替し、右引合せ様式を胴丸、背面引合せ様式を腹巻と称するに至った。よって、本項で述べる腹巻は現在の呼称に従い背面引合せ様式の甲冑をさす。腹巻は、大鎧(おおよろい)、胴丸より遅れて出現した。『平治(へいじ)物語絵巻』などの古画にみえないこと、建治(けんじ)2年(1276)の著といわれる『種々御振舞御書』の記事や、滋賀県来迎(らいごう)寺所蔵『十界図』、茨城県常福寺所蔵『拾遺古徳伝』などの描写にみえること、鎌倉時代以前の遺物のないことなどから、鎌倉末期ごろの発生と推測される。軽快で機能性に優れ、引合せを背面に設け、しかもすきまのできることを特色とする。原則として兜(かぶと)と袖(そで)を具さず、立挙(たてあげ)は前後とも二段、長側(ながかわ)四段に構成するが、背割りのため押付板(おしつけいた)は左右の2枚に分かれる。肩上(わたがみ)は革製の細長い、俗に蔓(つる)肩上とよばれるもので、胴丸にみる杏葉の設けはない。草摺(くさずり)は胴丸より一間少なく七間を原則とし、五段下がりを普通とする。ただし、包(つつみ)腹巻には長側三段、草摺五間が多く、時代の下ったものには、九間、十一間の草摺もみられる。
初期の腹巻は一般に粗製で、おもに槍(やり)、長刀(なぎなた)などの打物(うちもの)をとって戦った徒(かち)の下卒に着用された。また、伊予札(いよざね)や古小札(ふるこざね)を韋(かわ)や布帛(ふはく)で包んだ包腹巻もつくられた。これは一般に胴を伊予札でつくり、草摺に古小札を用い、黒韋、燻(ふすべ)韋、綾(あや)などで包み菱綴(ひしとじ)を施した。『十二類絵巻』には下卒の料として描かれ、遺物は韋包みが大阪府金剛(こんごう)寺、綾包みが滋賀県兵主(ひょうず)大社に伝来する。室町時代の後期、徒立(かちだち)の打物戦がいっそう盛んになると、腹巻の軽快性が上級武士の要求と好みにかなって用いられることとなり、兜と袖が具され、盛上本小札(もりあげほんこざね)や飾り金物などの使用と相まって、その製作は胴丸に近似し、将帥の着用にも堪える精巧美麗、かつ品位の高いものとなった。これに具した兜は筋(すじ)兜で、上級武士には阿古陀形(あこだなり)という特異な形状の総覆輪筋兜が賞用された。(しころ)はおもに三枚下がりの笠(かさ)で、色々威(いろいろおどし)が多く行われた。袖は大袖のほか、打物戦に有利な裾(すそ)つぼまりの壺(つぼ)袖や、まれに広袖が添えられた。
かくて、腹巻は室町後期に全盛を極めたのであるが、戦闘がしだいに接近しての白兵戦的様相を呈するに及び、背面にできるすきまをふさぐための背板(せいた)が考案された。背板は、敵に背を向けることを卑しむ士風から臆病(おくびょう)板ともよばれた。また、需要と消耗の増大に応じて、鉄板札素懸威(てついたざねすがけおどし)の簡略な最上(もがみ)腹巻、金(かな)腹巻と称するものが現れた。しかし、腹巻は室町末期から近世初めにかけての甲冑の大変革期に衰退して、当世具足の成立をみることとなった。腹巻の遺物は比較的多く残る。大阪府金剛寺、愛媛県大山祇(おおやまづみ)神社、兵庫県太山寺(たいさんじ)などの古社寺のほか、個人の所蔵品にも多数の優品がある。着装のようすは、前記『十二類絵巻』『秋夜長物語絵詞』『結城(ゆうき)合戦絵詞』および岐阜県浄音(じょうおん)寺所蔵「斎藤大納言正義(まさよし)画像」の詳細な表現によってうかがわれる。
[山岸素夫]
中世の甲(よろい)の一種。騎馬用の大型の大鎧(おおよろい)に対して,小型で,足さばきを考えて草摺(くさずり)を細分した徒歩用をいう。前後の長側(なががわ)を延長し,引合せを右脇に設けて重ね合わせ,胸腹部全体の覆いとしたので腹巻とよび,もっぱら歩卒が用いた。ときには大鎧より略式のときに,また要害のためには装束の下の着料とした。鎌倉時代からはこれよりもいっそう簡略に,胸から腹部にかけて正面だけを覆った様式と,これをさらに背後に延ばし背面中央で引き合わせた様式を使用するようになった。ともに大鎧に対してなお腹巻の名を用いていたが,厳密に区別するときは,前者を腹当(はらあて)という。後者は鎌倉時代の末ころから高級の武士の間に盛んに愛用されるにいたって腹巻の名を独占し,従来のそれは胴丸とよばれるようになった。かくて鎌倉時代の末以来,腹巻は引合せを背後中央に設け,草摺を七つに分割した様式に限られることになった。文献や絵巻に表示される腹巻は,時代によって様式を異にしているから,十分の注意を必要とする。
→甲冑
なお,保温用に衣服の下に着ける腹巻は,明治以降になって用いられたもので,これについては〈腹掛け〉の項を参照されたい。
執筆者:鈴木 敬三
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※「腹巻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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