腹巻(読み)はらまき

日本大百科全書(ニッポニカ)「腹巻」の解説

腹巻
はらまき

日本の中世冑(かっちゅう)の一様式。ただし中世の諸記録や軍記物語などに記述されている巻は、右引合せ様式の甲冑であった。のちに名称に混乱がおこり、胴丸(どうまる)ととなえられていた背面を引合せ(背割(せわ)り)とする甲冑と名称が交替し、右引合せ様式を丸、背面引合せ様式を腹巻と称するに至った。よって、本項で述べる腹巻は現在の呼称に従い背面引合せ様式の甲冑をさす。腹巻は、大(おおよろい)、胴丸より遅れて出現した。『平治(へいじ)物語絵巻』などの古画にみえないこと、建治(けんじ)2年(1276)の著といわれる『種々御振舞御書』の記事や、滋賀県来迎(らいごう)寺所蔵『十界図』、茨城県常福寺所蔵『拾遺古徳伝』などの描写にみえること、鎌倉時代以前の遺物のないことなどから、鎌倉末期ごろの発生と推測される。軽快で機能性に優れ、引合せを背面に設け、しかもすきまのできることを特色とする。原則として兜(かぶと)と(そで)を具さず、立挙(たてあげ)は前後とも二段、長側(ながかわ)四段に構成するが、背割りのため押付板(おしつけいた)は左右の2枚に分かれる。肩上(わたがみ)は革製の細長い、俗に蔓(つる)肩上とよばれるもので、胴丸にみる杏葉の設けはない。草摺(くさずり)は胴丸より一間少なく七間を原則とし、五段下がりを普通とする。ただし、包(つつみ)腹巻には長側三段、草摺五間が多く、時代の下ったものには、九間、十一間の草摺もみられる。

 初期の腹巻は一般に粗製で、おもに槍(やり)、長刀(なぎなた)などの打物(うちもの)をとって戦った徒(かち)の下卒に着用された。また、伊予札(いよざね)や古小札(ふるこざね)を韋(かわ)や帛(ふはく)で包んだ包腹巻もつくられた。これは一般に胴を伊予札でつくり、草摺に古小札を用い、黒韋、燻(ふすべ)韋、綾(あや)などで包み菱綴(ひしとじ)を施した。『十二類絵巻』には下卒の料として描かれ、遺物は韋包みが大阪府金剛(こんごう)寺、綾包みが滋賀県兵主(ひょうず)大社に伝来する。室町時代の後期、徒立(かちだち)の打物戦がいっそう盛んになると、腹巻の軽快性が上級武士の要求と好みにかなって用いられることとなり、兜と袖が具され、盛上本小札(もりあげほんこざね)や飾り金物などの使用と相まって、その製作は胴丸に近似し、将帥の着用にも堪える精巧美麗、かつ品位の高いものとなった。これに具した兜は筋(すじ)兜で、上級武士には阿古陀形(あこだなり)という特異な形状の総覆輪筋兜が賞用された。(しころ)はおもに三枚下がりの笠(かさ)で、色々威(いろいろおどし)が多く行われた。袖は大袖のほか、打物戦に有利な(すそ)つぼまりの壺(つぼ)袖や、まれに広袖が添えられた。

 かくて、腹巻は室町後期に全盛を極めたのであるが、戦闘がしだいに接近しての白兵戦的様相を呈するに及び、背面にできるすきまをふさぐための背板(せいた)が考案された。背板は、敵に背を向けることを卑しむ士風から臆病(おくびょう)板ともよばれた。また、需要と消耗の増大に応じて、鉄板札素懸威(てついたざねすがけおどし)の簡略な最上(もがみ)腹巻、金(かな)腹巻と称するものが現れた。しかし、腹巻は室町末期から近世初めにかけての甲冑の大変革期に衰退して、当世具足の成立をみることとなった。腹巻の遺物は比較的多く残る。大阪府金剛寺、愛媛県大山祇(おおやまづみ)神社、兵庫県太山寺(たいさんじ)などの古社寺のほか、個人の所蔵品にも多数の優品がある。着装のようすは、前記『十二類絵巻』『秋夜長物語絵詞』『結城(ゆうき)合戦絵詞』および岐阜県浄音(じょうおん)寺所蔵「斎藤大納言正義(まさよし)画像」の詳細な表現によってうかがわれる。

[山岸素夫]

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精選版 日本国語大辞典「腹巻」の解説

はら‐まき【腹巻】

〘名〙
① 腹に巻く幅の広い布。また、綿布毛糸で作った筒形のもの。冷えを防ぐためなどに用いる。はらおび。
※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉三「六円の金は、古帯にくるむで、腹巻にし」
② 鎧(よろい)一種。騎射用の大形の草摺(くさずり)の鎧に対して、草摺を細分した、徒歩用の軽快で小形の様式をいう。近世では、腹に巻いて背で引き合わせる様式をいう。ときにその背のすきまをふさぐ防御具を付設して背板(せいた)とも臆病板(おくびょういた)ともいう。腹巻鎧。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
※読本・昔話稲妻表紙(1806)一「梅津嘉門萌黄薫の腹巻(ハラマキ)のうへに、金紗の道服を着し」
[語誌](②について) (1)近世以降、背中で引き合わせる形式の鎧を腹巻、右脇で引き合わせるものを胴丸と呼ぶが、鎌倉期以前の文献には「胴丸(どうまる)」の確実な例はなく、「腹巻」のみが用いられる。
(2)鎌倉後期の「土蜘蛛草紙」に、腹巻着用の図として胴丸が描かれていることなどから、鎌倉・室町初期以前には、胴丸は腹巻と称していたらしい。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「腹巻」の解説

腹巻
はらまき

平安時代中期~室町時代末期にわたって用いられた鎧 (甲) の一種。胴の前および左右脇から背面両側が一続きで,背中で引合せ,その間隙に背板をつけたものもある。裾の草摺 (くさずり) は7間5段下がりを普通とする。胴丸よりも簡便で歩兵用に使用されたが,鎧の下あるいはの下にも着込んだ。南北朝時代以降,これに筋兜や大袖を加えて「三つ物」と呼び,武将も戦陣で着用した。

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百科事典マイペディア「腹巻」の解説

腹巻【はらまき】

中世の鎧(よろい)の一種。胴の前と左右が続き背後でかき合わせ,そのすき間に背板を当てたもの。胴丸よりもさらに簡便で,草摺(くさずり)を細分し足さばきがよいので,下級士卒が着用したが,のちには兜(かぶと),大袖(おおそで)をつけて武将も着用,装束の下に着込んだりした。
→関連項目甲冑

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デジタル大辞泉「腹巻」の解説

はら‐まき【腹巻(き)】

腹の冷えるのを防ぐため、腹に巻く布、または毛糸などで筒形に編んだもの。はらおび。腹当て。
よろいの一。胴を囲み、背中で引き合わせるようにした簡便なもの。鎌倉後期ごろから歩卒が用い、室町時代には上級武士にも用いられた。

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防府市歴史用語集「腹巻」の解説

腹巻

 よろいの一種で、歩兵用に軽く、小型化したものです。胴を守るためのものです。南北朝時代には袖[そで]とかぶとを加えて、三つ物[みつもの]と呼ばれました。

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世界大百科事典 第2版「腹巻」の解説

はらまき【腹巻】

中世の甲(よろい)の一種。騎馬用の大型の大鎧(おおよろい)に対して,小型で,足さばきを考えて草摺(くさずり)を細分した徒歩用をいう。前後の長側(なががわ)を延長し,引合せを右脇に設けて重ね合わせ,胸腹部全体の覆いとしたので腹巻とよび,もっぱら歩卒が用いた。ときには大鎧より略式のときに,また要害のためには装束の下の着料とした。鎌倉時代からはこれよりもいっそう簡略に,胸から腹部にかけて正面だけを覆った様式と,これをさらに背後に延ばし背面中央で引き合わせた様式を使用するようになった。

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世界大百科事典内の腹巻の言及

【甲冑】より

…こうした大鎧の優品として伝存するものに,東京都御岳神社の畠山重忠寄進と伝える赤糸威鎧,広島県厳島神社の伝源頼朝奉納小桜威鎧,愛媛県大山祇神社の伝河野通信奉納紺糸威鎧などがある。
[胴丸,腹巻,腹当]
 平安時代に形成された鎧は騎乗用に整えられ,大型化しまた華麗な装飾が施されて武将の武威を表したが,徒歩の従卒用には軽快な胴丸が作り出された。脇楯を用いず胴を右脇で引き合わせ,草摺は歩行しやすいように八間と細かく分け,肩に杏葉を当てて防御した。…

※「腹巻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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