1000人の僧に供養すること。供養とは,仏法僧の三宝や父母,師長,故人に食物や衣服を供給すること。千僧会ともいう。多くの場合,供養に先立ち読経などが行われて,これを千僧読経といい,このあと出席読経した僧に供養が行われる。その功徳は無量であると信じられていた。946年(天慶9)朱雀上皇が東西の凶乱を鎮めるため,延暦寺講堂において法会を行った後,千僧に供養したのが早い例で,疫病流行のときなどにも行われた。供養の内容も明らかではないが,北条政子発起の供養では,金品を納めた包物1と絹1疋(ぴき)と3斗入り袋米1で,《源平盛衰記》には,手作の布1段,供米(くまい)1袋とある。莫大な費用を必要としたから,史上これを行いえた者は,白河上皇,鳥羽上皇,後白河上皇,平清盛,北条政子,豊臣秀吉ら権力者であった。秀吉の京都方広寺での千僧供養への出席の可否をめぐり,日蓮宗は不受不施派と受不施派に分裂していった。
執筆者:高木 豊
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「せんぞうくよう」とも読む。多数の僧侶(そうりょ)が招かれて『法華経(ほけきょう)』などを読誦(どくじゅ)する法要をいう。千僧会(せんそうえ)、千僧供(く)ともいう。インド、中国で行われ、日本でも古くから営まれており、平安時代ごろより盛んとなる。朱雀(すざく)上皇は947年(天暦1)に延暦(えんりゃく)寺講堂において、凶乱を救うという目的のもとに行い、平清盛(きよもり)も1169年(嘉応1)に福原(ふくはら)で催している。鎌倉時代の1220年(承久2)には彗星(すいせい)による不吉を除くために延暦寺根本中堂(こんぽんちゅうどう)において千僧の読経が行われている。豊臣(とよとみ)秀吉もまた、1595年(文禄4)方広(ほうこう)寺大仏の経堂において真言(しんごん)宗、天台宗など八宗から800人の僧侶を招き、父母の供養のための大法要を開催し、それ以降もたびたび行っている。
[廣瀬良弘]
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…通常数人から20人前後の僧侶によって一座(座は法要の数を表現する数詞)の法要が勤修されるが,盛儀になると100人,200人,場合によっては300人前後が出仕することもある。古くは千僧供養,万僧供養と称して多数の僧侶が出仕し,数による功徳を願うこともあり,単に盛儀というにとどまらず,呪的な意味合いもこめられていた。1日限りで完了する小規模で日常的な寺事の場合,法要も一座で完結することが多いが,大規模になると,1日に五座,六座の法要を勤修する場合もある。…
※「千僧供養」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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