南喜一(読み)ミナミ キイチ

20世紀日本人名事典 「南喜一」の解説

南 喜一
ミナミ キイチ

大正・昭和期の社会運動家 日本国策パルプ工業社長。



生年
明治26(1893)年2月19日

没年
昭和45(1970)年1月30日

出生地
石川県石川郡三馬村(現・金沢市)

学歴〔年〕
早稲田大学理工科〔大正6年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和40年〕

経歴
少年時代に植字工、演歌師、人力車夫などをし、17歳で専検にパスして上京後、早大、明治薬学校で苦学生として勉強。大正12年、関東大震災直後の亀戸事件実弟吉村光治官憲に虐殺されたのを機に共産党入党、中央委員にまでなって共同印刷、星製薬、日本楽器などの労働争議を指導、一躍花形闘士となる。また昭和3年の3.15事件では水野成夫らとともに入獄した。そして2年後には共産党から離党すると江東の玉ノ井で働く2千数百人の女性たちの解放運動に従事。さらに戦争中の15年には実業界に乗り出して盟友水野とともに故紙再生の会社を設立、終戦直後の20年秋、同社を吸収合併した国策パルプが発足すると同社の常務に迎えられ、副社長、副会長を経て38年に会長となった。その他ヤクルト会長、日本癌予防協会理事長などを務めた。一方、43年刊でベストセラーにもなった自作のエロ小説ガマの聖談」で盛名をはせ、その主人公の名をとって“蟇(がま)将軍”のあだ名がついたほど。尾崎士郎の小説「新・人生劇場」の車嘉七のモデルでもある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南喜一」の解説

南喜一 みなみ-きいち

1893-1970 大正-昭和時代の労働運動家,実業家。
明治26年2月19日生まれ。亀戸(かめいど)事件で弟の吉村光治(こうじ)が虐殺され,労働運動にはいる。共産党員として活動するが,三・一五事件で検挙され転向。水野成夫(しげお)と大日本再生製紙を創立し,昭和20年国策パルプと合併。専務をへて38年会長となった。粋人で「ガマの聖談」の著がある。昭和45年1月30日死去。76歳。石川県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「南喜一」の解説

南 喜一 (みなみ きいち)

生年月日:1893年2月19日
大正時代;昭和時代の労働運動家;実業家。日本国策パルプ工業社長
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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