南相木村(読み)みなみあいきむら

日本歴史地名大系 「南相木村」の解説

南相木村
みなみあいきむら

[現在地名]南相木村

村域は現南相木村と同じ。永禄八年(一五六五)一一月、武田信玄が諏訪社上社に対し祭礼の再興を下知した「諏方上宮祭礼退転之所、令再興次第」(諏訪大社文書)の大宮一之鳥居を負担する佐久郡一一郷の中に「一貫文北阿江木之郷、一貫文南阿江木之郷」と、「阿江木」の文字で記されている。

中世は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月の乃貢未済庄々注文の条に八条院領と記された大井庄に属した地で、当初北条氏が地頭であったが、のち岩村田いわむらだ(現佐久市岩村田)に居を置いた大井氏が地頭を務めたと思われ、その配下として阿江木(相木)氏がいたことは布施ふせ(現北佐久郡望月町)にある熊野神社の文安二年(一四四五)木造棟札に「大檀那阿江木右衛門入道々永藤原朝臣桜井加賀守行熙」とあることから推測される。文明一六年(一四八四)村上氏により大井氏が敗れ、阿江木氏は独立し、相木の地へ移ったようである。村内の諏訪神社にある願主不明の文亀三年(一五〇三)の銅製鰐口は、阿江木氏の寄進によるものと思われる。

相木の地が南北に分れるのは、永禄八年武田信玄により諏訪社上社の祭礼再興にあたり、佐久郡のうち一一郷を大宮一の鳥居造立のため百姓等に造宮銭徴収を下知したなかに「一貫文北阿江木之郷、一貫文南阿江木之郷」とあるので、この頃と思われる。


南相木村
みなみあいきむら

面積:六五・六三平方キロ

千曲川の支流、相木川上流の谷あい標高九一〇―二一〇〇メートルの間の東西に長い村。東は群馬県多野たの上野うえの村、南は川上かわかみ村、北は北相木きたあいき村とそれぞれ山嶺をもって境する。北半分は御座おぐら(二一一二・一メートル)の南斜面、南は天狗てんぐ(一八八二・一メートル)の北斜面、中央の峰雄みねお(一六三一・二メートル)が更に南北二つに分ける。峰雄山の南は三川みかわ川、北は栗生くりゆう川が流れ、中島なかじまで合流して相木川となり、北相木川又かわまたで北相木川を合わせて千曲川に注ぐ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南相木村」の意味・わかりやすい解説

南相木〔村〕
みなみあいき

長野県東部,千曲川上流部の支流相木川流域にある村。村域の約 90%が山林関東山地の西斜面,標高約 1000mにあり,ハクサイ,レタス,花卉の栽培が行われる。 1980年に入って栗生 (くりう) 地区から大量の大理石層が発見され,発掘加工が行われている。面積 66.05km2人口 962(2020)。

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